正信偈唱和
歎異抄を読む-歎異抄講義3月21日月曜日
歎異抄・第一条
一 弥陀の誓願不思議にたすけられまいらせて、往生をばとぐるなりと信じて念仏もうさんとおもいたつこころのおこるとき、すなわち摂取不捨の利益にあずけしめたまうなり。弥陀の本願には老少善悪のひとをえらばれず。ただ信心を要とすとしるべし。そのゆえは、罪悪深重煩悩熾盛の衆生をたすけんがための願にてまします。しかれば本願を信ぜんには、他の善も要にあらず、念仏にまさるべき善なきゆえに。悪をもおそるべからず、弥陀の本願をさまたぐるほどの悪なきがゆえにと云々
本日の歎異抄・第一条 講義文
法蔵菩薩の四十八願の中の第十八願に、
たとい我、仏を得んに、十方衆生、心を至し信楽して我が国に生まれんと欲うて、乃至十念せん。もし生まれずは、正覚を取らじ。唯五逆と正法を誹謗せんをば除く。
とあります。これが念仏往生の誓願です。
法蔵菩薩は、一切の生きとし生けるものを平等に救うのに、どうしたらいいかということを五劫の間考えに考えられました。五劫というのは、時間の長さです。蓮如上人の『正信偈大意』によれば、一辺が四十里のサイコロ型の大きな石を、三年に一度、天女が羽衣でサアッと撫でて、その石がなくまるので時間が一劫です。その五倍が五劫。その五劫の間、考え続けられた。これを五劫思惟といいます。
(念仏往生の誓願 17頁7行目~17頁14行目)