正信偈唱和
歎異抄を読む-歎異抄講義3月24日木曜日 ※動画が一部乱れがございます。ご了承下さい。
歎異抄・第一条
一 弥陀の誓願不思議にたすけられまいらせて、往生をばとぐるなりと信じて念仏もうさんとおもいたつこころのおこるとき、すなわち摂取不捨の利益にあずけしめたまうなり。弥陀の本願には老少善悪のひとをえらばれず。ただ信心を要とすとしるべし。そのゆえは、罪悪深重煩悩熾盛の衆生をたすけんがための願にてまします。しかれば本願を信ぜんには、他の善も要にあらず、念仏にまさるべき善なきゆえに。悪をもおそるべからず、弥陀の本願をさまたぐるほどの悪なきがゆえにと云々
本日の歎異抄・第一条 講義文
南無阿弥陀仏とか、お念仏を聞けば、法蔵菩薩のことだとか、弥陀の本願のことだとか、そういうことが心に浮かぶということです。言葉が精神生活を耕していくのです。
その弥陀の誓願は、ただ念仏するものを救おうというだけの誓いで終わらずに、そのお念仏を、人びとがお念仏をできるように、自分は手立てを尽くそうということも誓うわけです。人びとがお念仏をできるように、自分は手立てをつくしましょう。念仏をもうすように催促しましょう。そういうことまで含んで、ただ念仏もうすものを救うという誓いを起された。それが、弥陀の本願、誓願です。私たちの側にいて、先生になってくださったり、親になってくださったり、友達になってくださったりして、お念仏を喜んでいる人がおられます。お念仏の教えを聞くという人がおられます。そういう人が、法蔵菩薩の本願がはたらいている人なのです。
(念仏往生の誓願 18頁14行目~19頁3行目)