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2024年01月
私は絶対に死にません

私は絶対に死にません
井上 雅嗣

この言葉は、父である先代住職が亡くなる十日前に述べた言葉です。
「絶対に死にません」と言い切りながら、実際には命を終えていかれたわけですから、この言葉は私にとっての課題となりました。
昨年は、先代住職の二十七回忌が證大寺発祥の地である福岡県みやこ郡に位置する続命院(ぞくみょういん)にて営まれました。
證大寺は、正式名称を続命院 法輪山 證大寺といい、現在でも「続命院」と言う地名として残されています。
続命院の由来については、産経新聞に「古代の病院・続命院」というタイトルで以下の記事が紹介されています。
遠(とお)の朝廷(みかど)」と呼ばれていた古代大宰府には、九州諸国や海外から多くの人々が集まり、さまざまな感染症も流行した。遠方から納税などの所用で来た人たちの中には、長い滞在を余儀なくさせられ、病や飢えで命尽きる者も多かったという ▼そこで人道的な計らいをした大宰府の高官がいた。平安時代初め、次官だった小野峯守(おののみねもり)は、彼らの療養施設を設置したのだ。施設の名前はずばり「続命院(ぞくみょういん)」。建物7棟からなり、病人を癒やし、食料を与えた。運営財源をまかなうための広大な水田もあった。病院の始まりといっていいのかもしれない・・・以下、省略 (二〇二〇年七月一日 九州総局 永尾和夫)
国防と外交の中心地であった太宰府には、たとえば防人(さきもり)として主に関東や東北から三年の任期で赴任する人が多くおられました。
飢饉や疫病が流行するとたちまち雨露を凌ぐ場所もなく路上で亡くなっていかれる方が多いのを悲しみ、小野岑守は私費を投じて「続命院」という施設を建立し、
西暦八三五年にようやく国の施設として管理されることとなったと、『続日本後後記』などに記されています。
その頃から観音菩薩、薬師如来、さらには阿弥陀如来が安置され、倒れた人を見守ってきました。
観音菩薩は看護師の役割、薬師如来は薬剤師の役割、阿弥陀如来は医師の役割であったと思います。
しかし抗生物質もない時代のことですから、感染症が流行った際には治らずに亡くなる方も多かったと思います。
そのように考えると、古代の病院というよりも、現在で言うところの「看取りの施設」であったでしょう。
「続命院」に込められた「続命」とは、死んでも死なない命、すなわち阿弥陀如来の別名である「無量寿」に帰せよ、もとの命に帰れとの願いが込められていたのだと感じます。
その後、「続命院」は證大寺として再興されました。證大寺は、證(証)の大きなお寺という意味です。親鸞聖人の記された『正信偈』によれば、「證大涅槃」とあり、大涅槃を証明するお寺という意味です。私たちの命は死んで終わりの命ではなく、必ず仏になる命を生きている、という願いが込められた名前です。
「この人生は、命を終えるまでの大いなる暇つぶし」と話をしている著名人の発言を聞きました。私はこの言葉を聞いて、暇つぶしの人生ではやりきれないなと
感じました。掲示板の言葉である「私は絶対に死なない」との父の言葉は、私と出会った意味を忘れないで欲しい、私の願いを受け止めて欲しいと私には響いています。
仏教では、人を二度死なせてはならない。二度目の死とはその方を忘れてしまうことだと教えていただきました。
さらにいえば、亡き人を死者として弔うのではなく、仏として拝めるものになって欲しいとの願いが私に伝えられています。

證大寺 住職 井上城治

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