「明日ありと 思う心のあだ桜
夜半に嵐の ふかぬものかは」
〜親鸞聖人御得度の詩歌~
今から十七年前、余命一ヶ月にして結婚式を挙げた二十四歳の女性がいました。
彼女は乳がんに侵され、自らの命が尽きるその時まで懸命に生き抜きました。
挙式後のインタビューで、「皆さんに明日があることは奇跡です。その事を知っているだけで日常は幸せなことだらけで溢れています」と答えられています。
人には失って気づくことがあるというが、この言葉の重みが私に突き刺ささってきたのはなぜだろうと考えてみました。
命の終わりが刻一刻と近づく中で、日常生活も不自由となり、それでも人生を懸命に生き切った彼女の言葉は、親鸞聖人が詠まれたこの歌と相通ずるように思えたのだと思います。
病に侵されて日常生活もままならない中、夢と希望を抱いて、人生を謳歌した彼女の姿に、八五〇年前に僅か九歳の少年だった松若丸(後の親鸞聖人)の姿が偲ばれます。
時は戦乱真っ只中に、公家の家に生を受けた松若丸は、本当に生きる道の選択を、出家得度して僧侶になることと選ばれました。
そして伯父の日野範綱が、時の比叡山座主であった慈鎮和尚の青連院に連れて行き、得度のお願いをしたが、得度には準備があり、今は夜なので、翌朝に得度式をすると言われた際に詠まれたのが、この歌と言い伝えられています。
この歌の意味を私は、「美しく咲く桜の花も明日また見られるとは限らない。また、夜中に強い風が吹けば散ってしまうかもしれない。いつ尽きるとも知れぬ我が身の命であるから、何事も先延ばしにはできない」ということだと思います。
さて、私たちはどうでしょうか? 少子高齢化時代に突入してからの若者の孤独感はより一層社会問題へと発展し、コロナ禍にいたっては政治もメディアの暴走を止められずに、不確定な情報がまことしやかにながれ、混乱した状況が続いていました。
いまだに日常生活を送ることが制限され、不足と不満とに悩まされながら、行動をとれずにいるのではないでしょうか。
親鸞聖人は「御和讃」に、
「煩悩にまなこさえられて
摂取の光明みざれども
大悲ものうきことなくて
つねにわが身をてらすなり」
『高僧和讃』( 真宗聖典四九七貢)
と詠まれています。
往々にして私は、自己中心の生活に明け暮れて、心を閉ざし自分自身を見失ってしまうことがあります。
しかし、生きとし生けるものが太陽の光にはぐくまれ、生き生きと躍動するように、私を決して見捨てることなく照らし続けてくださっていると、この和讃から教えられます。
僅か二十四歳で命の炎を燃やし尽くした彼女も親鸞聖人と同じ気持ちだと思います。
親鸞聖人が詠まれたあだ桜の歌は、まさしく私たちに「恐れるな!勇気を出して行動を!」と背中を押してくださっているように思います。また、「何事も物事を先延ばしにしてはいないか」と問われていると思います。
親鸞聖人は、
「一人居て喜ばは二人と思ふべし。二人居て喜ばは三人と思うべし。
その一人は親鸞なり。」
((『親鸞聖人御臨末の御書』)
と御遺訓されました。
しっかりと進むべき方向を見定めて、この激動の時代を親鸞聖人とともに歩んでまいりたいと思います。 南無阿弥陀仏。
江戸川本坊 内野瑞覺