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8月8日(火)毎朝のお経と法話の会

歎異抄


歎異抄・第九条

一 「念仏もうしそうらえども、踊躍歓喜のこころおろそかにそうろうこと、またいそぎ浄土へまいりたきこころのそうらわぬは、いかにとそうろうべきことにてそうろうやらん」と、もうしいれてそうらいしかば、「親鸞もこの不審ありつるに、唯円房おなじこころにてありけり。よくよく案じみれば、天におどり地におどるほどによろこぶべきことを、よろこばぬにて、いよいよ往生は一定とおもいたまうべきなり。よろこぶべきこころをおさえて、よろこばせざるは、煩悩の所為なり。しかるに仏かねてしろしめして、煩悩具足の凡夫とおおせられたることなれば、他力の悲願は、かくのごときのわれらがためなりけりとしられて、いよいよたのもしくおぼゆるなり。また浄土へいそぎまいりたきこころのなくて、いささか所労のこともあれば、死なんずるやらんとこころぼそくおぼゆることも、煩悩の所為なり。久遠劫よりいままで流転せる苦悩の旧里はすてがたく、いまだうまれざる安養の浄土はこいしからずそうろうこと、まことに、よくよく煩悩の興盛にそうろうにこそ。なごりおしくおもえども、娑婆の縁つきて、ちからなくしておわるときに、かの土へはまいるべきなり。いそぎまいりたきこころなきものを、ことにあわれみたまうなり。これにつけてこそ、いよいよ大悲大願はたのもしく、往生は決定と存じそうらえ。踊躍歓喜のこころもあり、いそぎ浄土へもまいりたくそうらわんには、煩悩のなきやらんと、あやしくそうらいなまし」と云々

本日の歎異抄・第九条 講義文 よろこばぬにて、いよいよ往生は一定
それに対して、親鸞聖人の答えが、「親鸞もこの不審ありつるに、唯円房おなじこころにてありけり」だったのです。「親鸞もこの疑問があったのだけれども、唯円房も同じ心だったんだなあ」と答えられた。どんなに叱られるかと思って、ビクビクしながら質問をしたのに、「私もまったく同じ疑問を持っている」といわれたのですから、驚かないはずがない。そして続いて、
よくよく案じみれば、天におどり地におどるほどによろこぶべきことを、よろこばぬにて、いよいよ往生は一定とおもいたまうべきなり。(真宗聖典六二九頁)
こういわれたのです。「唯円房おなじこころにてありけり」というところから、「よくよく案じみれば」というところは、間があったと思います。実際に話し合っているときに、そこのところで間というか、沈黙があったのではないかと思います。「よくよく案じみれば」というのは、事実をしっかりと確かめるということです。つまり質問の内容、お念仏しても踊躍歓喜の心が疎かであるということ。また、急ぎお浄土へ参りたいという心がないということ。この事実をよくよく考えてみれば、「天におどり地におどるほどによろこぶべきことを、よろこばぬにて、いよいよ往生は一定とおもいたまうべきなり」といわれるのです。喜べ喜べといわれているのに喜べない。そうしたら、喜べないというのは悪いことじゃないですか、普通はそう感じる。それなのに、喜べないということがあるから、ますます往生は一定なんだと、そういうことをいわれるのです。これは大変な言葉です。

(よろこばぬにて、いよいよ往生は一定 241頁4行目~242頁2行目)

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