正信偈唱和
歎異抄を読む-歎異抄講義3月8日火曜日
歎異抄・第一条
一 弥陀の誓願不思議にたすけられまいらせて、往生をばとぐるなりと信じて念仏もうさんとおもいたつこころのおこるとき、すなわち摂取不捨の利益にあずけしめたまうなり。弥陀の本願には老少善悪のひとをえらばれず。ただ信心を要とすとしるべし。そのゆえは、罪悪深重煩悩熾盛の衆生をたすけんがための願にてまします。しかれば本願を信ぜんには、他の善も要にあらず、念仏にまさるべき善なきゆえに。悪をもおそるべからず、弥陀の本願をさまたぐるほどの悪なきがゆえにと云々
本日の歎異抄・第一条 講義文
第一条の最初に、「弥陀の誓願不思議にたすけられまいらせて、往生をばとぐるなりと信じて念仏もうさんとおもいたつこころのおこるとき、すなわち摂取不捨の利益にあずけしめたまうなり」といわれています。
「弥陀」というのは、阿弥陀仏のことです。阿弥陀とは、無量無限という意味の古いインド語のアミタ語のアミタを音写してものです。では、何が無量無限であるかというと、智慧と慈悲です。それが「無量光」「無量寿」と表現されました。
(無量寿・無量光 13頁6行目~13頁10行目)