正信偈唱和
歎異抄を読む-歎異抄講義3月10日木曜日
歎異抄・第一条
一 弥陀の誓願不思議にたすけられまいらせて、往生をばとぐるなりと信じて念仏もうさんとおもいたつこころのおこるとき、すなわち摂取不捨の利益にあずけしめたまうなり。弥陀の本願には老少善悪のひとをえらばれず。ただ信心を要とすとしるべし。そのゆえは、罪悪深重煩悩熾盛の衆生をたすけんがための願にてまします。しかれば本願を信ぜんには、他の善も要にあらず、念仏にまさるべき善なきゆえに。悪をもおそるべからず、弥陀の本願をさまたぐるほどの悪なきがゆえにと云々
本日の歎異抄・第一条 講義文
どうしていのちが慈悲なのでしょう。いのちあるものは温かい。いのちは、ものを活かす。たとえば、子どもがいる場合、親は「この子が大きくなるまで、なんとか健康を維持して、成人するまでは元気で長生きをしていかなければ」と思うのではないでしょうか。どうしてそういう気持ちが起きるのかというと、子どものことを思っているからです。子どもがかわいいという気持ちがあるからです。そういう気持ちがあるから、私たちは、親子のあいだでも、長生きということを念じます。子どもにしても、「お父さん、お母さん、できるだけ長生きしてください」という気持ちになります。それは、やはり慈悲の心が表れているからでしょう。
(無量寿・無量光 14頁4行目~14頁10行目)