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2024年05月
本願力にあいぬれば むなしく すぐるひとぞなき 「高僧和讃」

本願力にあいぬれば
むなしく すぐるひとぞなき

「高僧和讃」

私たちの人生、その昔は人生五十年と言われました。今日では八十年とも九十年ともいう時代になってきおります。昔は良かったと思いに浸る人もいれば、長生きしてよかった、と現代を肯定する人もいます。
いずれにしても、わが身の都合で、その時代を否定したり、肯定したりしておるのではないでしょうか。ただ、人生五十年といわれた時代は、今日のように人生にかなりの余裕を持ちながら、しかもわが人生は五十年なのだという、ある一線を引いて、充実した豊かな人生を送ろうと心かけていた人たちが多かったように思います。
それにくらべて今日は、私はまだまだ生きられるという油断から、かえってその人生を緩慢にさせ、求めねばならないことを求めず、どうでもよいようなことにあくせくしている人もいるのではないでしょうか。平均寿命が延びたからといって、その人の人生が充実し豊かにになったとはいえません。
いくら長生きしても、出会うべきものに出会って人生を終わらなければ、人間として生きたことにならないのです。つまり、寿命は長さで計るべきものではなく、その人の人生における豊かさ深さでいうべきだということです。自己を深く見つめて、充実した豊かな人生を生きるためには、今私たちは、何をどうすればよいのでしょうか。苦労せず生きてきた人は一人もいないはずです。要はその苦労が、その人をどのように育てたかということです。私はこのままで人生を終わってもよいのか、と自分を振り返ったとき、せっかくの苦労が無駄に終わっているとするならば、何か空しいものを感ずることでしょう。そのように、空しいなあ、私の人生は、と感じたなら、その空しさをどうしますか。親鸞聖人は空しく生きるような一切の苦悩する群萌を友としつつ、
『本願力にあいぬれば
むなしく すぐるひとぞなき』
「高僧和讃」(真宗聖典490頁)と和讃に詠われています。
本願力にあうとは、もとより聞法して本願を信じ念仏を申す人となることです。私たちは一生涯「苦悩」や「煩悩」と連れ添っていきてゆかなければなりません。しかし私達には親鸞聖人の真実の教えが一人ひとりにすでに導かれておるのではないですか。「本願力にあいぬれば、むなしく人生を終えていくのではなく」、即ちその苦悩のなかから自らの思い計らいを超えた本当の自分自身に目覚める。阿弥陀仏の本願力によって導かれ、苦しみのなかから喜びに変わることができるのではないか。むしろ、人生には苦悩することも必要なことだといただける世界が教えとして我々に願われていると思うのです。真実の教えをとおして苦悩せよ苦悩せよ、苦悩したかずだけ、人として救われていく道が開かれていると思うのです。

船橋昭和浄苑 支坊 黒澤 浄光

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