この言葉は、みなづきみのりという方が作詞された、『アポロンの竪琴』という詩の一部です。この詩を知ったのは、合唱を始めた大学一回生の春休み前でした。フェアウェルコンサートという四回生を送り出すコンサートを二月~三月の間に行うのが通例となっており、四回生の思い出の曲を歌うというのが、決まり事となっており、この曲も面白い曲だから歌おう、という流れからでした。四回生と過ごした一年間を締めくくる曲として春休みの何週間か練習をし、その日々を濃密に、大切に過ごし、見送る。そのような想いで臨んだ思い出の曲です。合唱をしていると多くの歌を聞き、歌いますが、この歌の詩を僧侶となり考えてみると、人生の先輩である、親鸞聖人が阿弥陀仏へ、そして私の為に語り掛けてくださっている言葉として出遇うことができると思いました。真宗聖典(教行信証行巻 一九三頁)に
大菩薩、法身の中にして常に三昧にましまして、種種の身・種種の神通・種種の説法を現じたまうことを示す。みな本願力より起こるをもってなり。たとえば阿修羅の琴の鼓する者なしといえども、音曲自然なるがごとし。
とあり、『アポロンの竪琴』と阿修羅の琴が重なりました。
天界に有ると言われる阿修羅の琴は、叩くものがないのに自然に鳴ると言われており、法蔵菩薩の言葉、叫びを音楽としてお伝えしていただいているように感じました。
詩の一部抜粋
音楽はあなたの歌声
あなたの言葉
あなたの叫び
あなたのつぶやき
あなたの物語の始まり
あなたは誰かのために歌うだろう
気づいてほしい
音楽はあなたからあなたの大切な誰かへと奏でられるものなのだということに
私たちが一人ではないことを確認するために…
私なりに『アポロンの竪琴』の詩の一部を超訳いたしますと、親鸞聖人が以下ように申されているように思います。
「念仏は、阿弥陀仏の歌声、言葉、叫び、つぶやき、人生の始まりなのです。阿弥陀仏は私一人の為に念仏申してくださるだろう。だからこそ皆、気づいてほしいのです。念仏は阿弥陀仏から私たちへ教えてくださっているものなのです。」と親身になって教えてくださっているように感じます。教行信証に(真宗聖典四〇一頁)
先に生まれん者は後を導き
後に生まれん者は先を訪え
という言葉があります。
私はこの詩を通して見た事もない先輩方からも多くの事を教えていただいて今の自分があるのだとあらためて気づかせていただきました。
證大寺江戸川本坊 工藤 潤