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Home トップページ  >  今月の法語  >  桜は、春が来たから 咲くのではありません。 寒い冬を耐えたからこそ咲くのです。 カーラジオの声

2022年04月
桜は、春が来たから 咲くのではありません。 寒い冬を耐えたからこそ咲くのです。 カーラジオの声

春がきましたね。命が沸き立つ春です。大地には様々な花が咲きほこります。

そんな中、運転中にカーラジオから春の話題が流れてきました。

そのラジオでは、番組を聞いているリスナーの別れを通して、出会った様々な言葉を、紹介していました。その中で、私の心に止まった一つの言葉がありました。

それは、一人の高校生が、卒業式を迎え、皆が新しい道に進んでいくという時に、担任の先生から言われた次の言葉でした。

「皆さん。桜は春が来たから咲くのではありません。寒い冬を耐えたからこそ咲くのです

この言葉を発した先生は、言葉の解説をされなかったので、言葉の意味をこの高校生は、自分で考えることにしたのです。

そして、この言葉を「寒い冬というのは、

辛い受験勉強を頑張ってきた私たちに、その結果として合格という桜が咲いたのだ」

と、しっかりと受け止めたというのです。

この高校生の投稿を受けてラジオ番組を進行するパーソナリティーは、担任の先生の卒業生に贈った言葉と、それを受け止めた高校生に、感心をして、「先生の言葉は、受験生だったからこそ響いたのかもしれないけど、これから先の人生でも、きっと響いていくものですね」とコメントをしていました。

皆様は、この担任の先生をどの様に受

け止めるのでしょうか。

私は、このカーラジオからの言葉をとおして、仏教で大切にされている蓮華についての咲き方を、思い起こしました。それは、次のような言葉です。

高原の陸地(ろくじ)には、

蓮華(れんげ)を生(しょう)ぜず。

 卑湿(ひしつ)の淤泥(おでい)に、いまし蓮華を生(しょう)ず。

この言葉は『維(ゆい)摩(ま)経(きょう)』で説かれている言葉です。意味は、次のように解釈されています。

凡夫(ぼんぶ)煩悩(ぼんのう)の泥の中にありて、菩薩のために開導(かいどう)せられて、よく仏の正覚(しょうがく)の華を生(しょう)ずるに喩(たと)う

(『真宗聖典』二百八十八頁)

ここには、仏法悟りの智慧が蓮華に喩えられていて、泥は、煩悩塗れで心が染まって私達を指します。そして、煩悩の中で生きている私達が、菩薩の導きを頂くことで、仏法に出遇い、覚りという正覚の華を頂く事ができるのです。

つまり蓮華という華は、煩悩塗れで迷っている私の所にこそ届く、仏法の智慧なのです。このことから仏教では蓮華という花はとても大事なのです。

また仏法が私の所に届くには「菩薩の導き」があるとあります。このことを親鸞聖人の正信偈には、次のように記しています。

煩悩の林に遊びて神通(じんずう)を現じ、 

生死(しょうじ)の園(その)に入りて

応化(おうげ)を示す、といえり。

『真宗聖典』二百六頁

つまり、極楽浄土に生まれたものは、私達の煩悩に世界に遊ぶように現れて下さり、生死に迷う私の苦悩に応えて、私を救って下さる仏法を届けて下さるというのです。

この様なはたらきは、どこまでも仏法が私を見捨てないという姿なのでしょう。

さて、この蓮華の教えも、先程の桜の言葉も「咲く」というところには、どちらも私の存在・生きている姿が重なります。そして、自分の歩む人生には、必ず華という存在があるのです。

また、自分の歩んできた生き方を見捨てない蓮華に喩えられる救いは「南無阿弥陀仏」と仏法は説くのです。

春のひと時に、改めて私を見捨てない仏法に、思いを馳せたのです。

 

證大寺森林公園支坊 目﨑明弘

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