これからが、これまでを決める 藤代 聡麿
「あの時、あんたに好きなようにやらせていたら〈あんたの人生〉は変わっていたかもしれない。ごめんね。」
ある日、母の口からふと出た言葉です。
『虫博士』――これが私の少年時代の愛称でした。自然の動植物が好きで、特に虫が大好き。田舎に生まれ、虫に出会える環境に恵まれていたこともあり、春から秋までは虫採りに明け暮れ、冬は虫や爬虫類の冬越しを観察していました。八歳で大人向けの昆虫図鑑を愛読し、小学校に入っても常に一人。周囲の子どもたちが運動場や公園で遊ぶ中、私は一人で黙々と虫を集め続ける少年でした。
人間より虫の友だちのほうが多いような私を心配した家族は、小学四年生に上がる時に大きな決断をしました。昆虫図鑑や虫採り道具を取り上げ、無理やり運動部に入部させ、休日は人間の友だちと遊ぶようにさせたのです。その時は必死に抵抗したことを覚えていますが、やがてそれも消え、「友だちも増えて」「普通」の生活を送るようになりました。
その時取り上げた図鑑を、母はいまも三十年大切に保管しています。そして大人になった私を見るたび、時折あのように考えるそうです。私に話をしてくれたのは、この時が初めてでした。
運動が得意な子、目立つ子、目立たなくても特長を持つ子――子どもの数だけ個性があり、生き方があります。蓮の花は、目には見えない泥土の中から美しい花を咲かせます。名前も生き方も特徴的なアリジゴクは、四年もの歳月をかけて栄養を蓄え、やがてウスバカゲロウという青緑に輝く美しい虫に成長します。子どもの人生も、まさに同じではないでしょうか。
煩悩にまなこさえられて
摂取の光明みざれども
大悲ものうきことなくて
つねにわが身をてらすなり
(真宗聖典六〇三頁)
私たちは煩悩という色眼鏡をかけているため、ものごとの本当の姿を見ていません。内に秘められた本質に気づかず、勝手に「良い」「悪い」と決めつけてしまいがちです。しかし、私を救おうとする大悲は、怠ることなくこの身に注がれており、人生には尊い無限の可能性が与えられているのです。
母に対して、私はこう答えました。
「ありがとう。あなたに育てていただいたおかげで、今の尊い人生に出会えました。」
同時に、私は〈私の人生〉における問いをいただきました。
「これからがこれまでを決める」藤代聡麿
これまで積み重ねた過去は終わったものではありません。これからどう生きるかによって、過去の「意味」が変わり、積み重ねた人生そのものが決定されていきます。
大切なのは、「必ず救う」と誓ってくださった阿弥陀仏の摂取の光に照らされ、賜った「いのち」といただいた「ご縁」によって、いま生かされていることに気づくことです。
私の中の煩悩という色眼鏡と真摯に向き合い、母のお育てとお心に、感謝のお念仏を申して歩んでまいります。
森林公園昭和浄苑 山岡恵悟