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2009年11月
みんな ひとりぼっちじゃ ないんだよ

宇佐美 百合子

 今月は元中部日本放送のアナウンサーで現在は作家並びに、心理カウンセラーとして活躍している宇佐美百合子さんのことばを紹介します。
さて、お釈迦さまが説かれた『仏説(ぶっせつ)無量寿経(むりょうじゅきょう)』は、宇佐美さんとは逆に「独(ひと)り生じ独り死し・・」(真宗聖典六十頁)と説かれています。即ち、生まれる時も死ぬ時も、人間は「ひとりぼっち」だということです。何故、お釈迦さまはこのように説かれたのでしょうか。
 私は昔、大谷専修学院で仲間と無量寿経の講義を受けていた時、重要なことがこのことばの前に説かれていることに気付かされ、又、問われました。それは「人、世間の愛欲の中にありて」ということばです。第一に問われたことは「人」とは誰かということでした。私は仲間と何日も攻究し、師と問答を重ねた結果「人」とは私のことであると教えられました。そして次の「世間」とは、考え、思う、私の意識生活の在り方のことで、最後の「愛欲」とは愛情と欲望の煩悩のことでした。即ち「人、世間の愛欲の中にありて」とは「私の意識生活が全て煩悩のままの在り方であれば」ということです。ですから「私に与えられた境遇を、そのまま頂いて生きていない」ことになります。その在り方が有縁の人を苦しめ、相手の存在を認めずに、共に孤独化して行くのです。即ち、私に与えられた境遇を、そのまま頂いて生きることなく「私の思い通りになるように変えて行こうとする在り方」は、念仏の教えを否定しているというのです。その在り方を仏教では「罪」と教えられました。何故かといいますと、私は全て頂いたものです。始めから何も無いものが、ご縁を得て頂いたのです。それがいのちです。いのちが形になったのが私です。又、形にしてくださったのは多数のご縁です。そのいのちを与えたのは「仏」です。その頂いたものを、貰ったものを、そのまま頂けずに計らい、又、計らっていることに気付かないのは大変なことです。そこに気付かず、更に繰り返しているのを「仏(ぶつ)智(ち)疑惑(ぎわく)」といい、それが「罪」なのです。私は貰ったものです。「それ意外に何が足りないのか」ということです。原点に帰ることです。原点に帰れば生まれていなかったかも知れません。ですからお釈迦さまはこのように罪を重ね、関係を断絶して生きる私の在り方を悲しまれて「独り生じ独り死し・・」と教えていると思うのですが、皆様は如何でしょうか。
 さて、親鸞聖人のことばに「誠(まこと)に知りぬ。悲しきかな、愚禿鸞(ぐとくらん)、愛欲(あいよく)の広海(こうかい)に沈没(ちんもつ)し、名利(みょうり)の大山(たいせん)に迷(めい)惑(わく)して、定聚(じょうじゅ)の数(かず)に入(い)ることを喜ばず、真証の証に近づくことを快(たのし)まざることを、恥(は)ずべし、痛(いた)むべし」(教行信証信巻・聖典二五一頁)とありますが、親鸞は全ての人間の在り方を自己自身として受け止めて、悲歎されたと思います。
 念仏の教えは「みんな、ひとりぼっちになってしまう」原因を自覚させて「みんな、ひとりぼっちじゃない」関係を回復させる教えです。その関係が「みんな、同じ一つのいのち」を与えられ、結ばれている関係です。本来は一つでありながら、煩悩が二つに分けている。お釈迦さまはその一つのいのちを『無量(むりょう)寿(じゅ)』と教えていると思います。

船橋支坊 加藤 順節

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