ホセ・ムヒカ(ウルグアイ元大統領)
この言葉を聞いた時、改めて「貧しい」とは何か、「豊か」とは何か、日本に住んでいるとはどういうことなのか、日本とはどんな場所なのか、私はどんな場所にいるのだろうかなど、根本的な問いにまで遡るようなものを感じました。「豊か」というのは欲のままに経済が発展し、世の中がいい方向に行くと、普通は考えるでしょう。しかし、ムヒカ氏はその過程にこそ、心の貧しさを抱えている日本の問題を見て取ったのではないでしょうか。
『大経』に
「然(しか)るに世人(せにん)、
薄(はく)俗(ぞく)にして共(とも)に不急(ふきゅう)の事(じ)を諍(あらそ)う」
(真宗聖典58頁)
とあります。
経済発展の価値観が激化すればするほど、人間は人間の心を忘れてしまうくらい競争の資源と化してしまう。そこに人間でありながら人間の心を忘れ、相手の人間をも経済活動の資源とさえ目に写っているかのようです。まるで急ぐことが日本人の常識かのごとくなり、「豊か」「幸せ」を求めつつも、人間関係の分裂といった矛盾をも生み出してきました。
日本は、一見便利なものが出来て豊かとも思いますが、その反面、エネルギー問題や地球温暖化、大量のごみをも生み出してきました。そのことが、世界中の環境や命にも影響を与えています。ある国では、海から流れ込んだプラスチックごみで、川が埋め尽くされるという現象が起きました。ある国では、森林の伐採により、生息していた動物の生きていく場所が奪われています。
ムヒカ氏には、物が大量にあり、お城のような場所にいても、牢獄にいるかのようになっている日本人の顔が目に写ったのでしょう。
『大経』には「少欲知足」 (真宗聖典27頁)とあります。欲を満足させても、また次から次へ「足りない足りないもっともっと」と欲が出てきます。人間の欲は、どこまで延長しても終わりなき鎖に縛られて、心が貧しくなっていきます。しかし、その心の貧しさのなかにこそ、聞こえて来る大切な教えがあると思います。満たされない心の問題を仏教に訪ねてまいりたいと思います。
江戸川本坊・銀田琢也