最近テレビで活躍していた人たちの訃報をよく耳にするようになりました。訃報をきくとその背景に自分も同じく年を重ねていることを実感します。その昔、私の好きなテレビで、『ザ、ドリフターズ』のバラエテイー番組がありました。そのドリフターズの元メンバーである荒井注さんが、平成12年2月9日行年71歳で息をひきとりました。「なんだ、 バカヤロー」というギャグで、一世を風靡(ふうび)した方です。後にも先にも相方や、メンバー以外の人を、まして画面のこちら側の人を罵倒(ばとう)して認められた芸人は、彼ぐらいでありましょう。
当事、テレビのワイドショーはその葬儀の様子を一部始終知らせてくれました。その中で、ドリフターズのリーダーいかりや長介さんが読んだ弔辞(ちょうじ)は秀逸(しゅういつ)でした。亡き友との人生を振り返りながら、友の人なりを語り、そして彼はこう述べました。「行くなとはいわない、だから気をつけて行け。ついたら場所を取っておいてくれ。オレも行かねばならないから。かならず」、そして一時の沈黙の後「いずれまた・・・」、そう締めくくりました。亡き人の冥福を祈る弔辞は数多くあります。私も仕事がら、そのような弔辞をよく耳にします。そしてその多くは、生きている私が、死んでゆくあなたを送るのだという、生と死を分けた処(ところ)に立っているものです。
いかりやさんの弔辞は、あきらかにそれらとは一線を画していました。そこにあるのは、人間の無常さを感じとり、自分もまた死んでゆかねばならない身であるという事実を、しっかりと受けとめている姿でした。自分を振り返った時、私たちは、かならず行かねばならない場所を、しっかりと見据えて生きているでしょうか。そして、その場所で切にまた会いたいと思えるほどの愛情や友情で結ばれた人間関係を持っているでしょうか。「かならず」と誓い「いずれまた」としめくることができる人を。
いかりや長介さん四年後の、平成16年3月20日闘病の末、行年72歳でこの世を去りました。荒井注さんの待つ浄土に還っていかれたのです。まさに、生と死を分けるのではなく、生と死が共にあり必ず死する身であること。そしてそこにしっかりと見据えて生きることの大切さを、長介さんは私達に「弔辞」と自らの死をもって教えてくださったのではないでしょうか。
船橋昭和浄苑 黒澤 浄光