作家司馬遼太郎が小説に描いた幕末の志士、高杉晋作の臨終の様子は、とても印象深い。「晋作は、筆を要求した。枕頭にいた野村望東尼(ぼうとうに)が紙を晋作の顔のそばにもってゆき、筆をもたせた。晋作は辞世の歌を書くつもりであった。ちょっと考え、やがてみみずが這うような力のない文字で、書きはじめた。
おもしろき こともなき世を おもしろく
とまで書いたが、力が尽き、筆をおとしてしまった。晋作にすれば本来おもしろからぬ世の中をずいぶん面白くすごしてきた。もはやなんの悔いもない、というつもりであったろうが、望東尼は、晋作のこの尻きれとんぼの辞世に下の句をつけてやらねばならないとおもい、
「すみなすものは 心なりけり」
と書き、晋作の顔の上にかざした。望東尼の下の句は変に道歌めいていて晋作の好みらしくはなかった。しかし晋作はいま一度目をひらいて、
「・・・・・・面白いのう」
と微笑し、ふたたび昏睡状態に入り、ほどなく脈が絶えた」
(『世に棲む日日』文春文庫)
晋作の二十七年と八ヵ月の生涯が、満足のいくものであったかどうかは本人でなければ知る由もない。実際のところ、晋作自信もよく分からないのかもしれない。
「おもしろき こともなき世を おもしろく」この辞世の上の句に、私の心は惹きつけられる。私はこの世を面白く生きようとしている。悔いを残しながらも、なかばあきらめがちに人生を完全燃焼させようともがいている。そして、どうしようもない気持ち悪さと吐き気をもよおしながら過ごしてきた。それでもこれでいいのだと納得させようとするのなら、もはや自分をごまかすしかないだろう。この上の句からは、そんな悲しみの鼓動が伝わって共感するのだ。その悲痛ともいえる叫びに応じて、次の下の句が添えられたのではないか。
「すみなすものは 心なりけり」
「心」が私に棲み付いているという。「心」とは何だろう。自分が何ものかもわからない。ましてや「心」となるともっとわからない。その不可思議な「心」が、私に棲み、私をそのようにさせるのであるなら、もはや私の心の及ばぬ「心」であり、私のはからいが無効であることを知らしめる、私の思いを超えた「心」といわなければならない。
晋作はこの下の句にふれて微かに笑みをもらした。なぜだろう。それは晋作がこの言葉で救われたからだと私は思っている。自(みずから)の理智を超えて、自(おのずから)助けようとはたらいてくださる「心」から、自分で自分を満足させようと悲鳴を上げていた心が救済されたのだと思う。「おもしろく」生きることに束縛されていた心が、苦悩の果てに、自然の「心」に出遇えた頷き、それが、「・・・・・・面白いのう」という晋作の最後の咳きになったのではないかと感じるのである。
私は私の心で「義」をたてる。それを正義として他と交渉すれば必ず別の正義と対立し煩悶する。しかしそれは、みずからつくりだした「義」によって、自分が勝手に苦しんでいるにすぎない。その自力の心の束縛から離放させ助けようと起ちあがってこられた力が、仏の正義(しょうぎ)である。それを「他力」という。その他力が、私の「義」を消滅せしめ、そこに仏の「義」が起てられる。そして、それを感じることが出来るのは、やはり私の心の外にはないのである。最後に、親鸞聖人が遺された御和讃に訪ね、仏の「心」に出遇う道しるべとさせていただきたいと思う。合掌。
聖道門のひとはみな
自力の心をむねとして
他力不思議にいりぬれば
義なきを義とすと信知せり (『正像末和讃』)
江戸川本坊 大空