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Home トップページ  >  今月の法語  >  世間に抱く関心は 必ず自己中心の善悪による 関心である信國 淳

2008年11月
世間に抱く関心は 必ず自己中心の善悪による 関心である

信國 淳

 京都にある大谷専修学院の元学院長である故信國淳先生の言葉である。ここ百年ほどの目覚ましい科学の発達により、人間の社会的枠組みは大きく変化した。人権・自由・平等・平和等の概念が確立し、少なくとも言葉になって社会に溢れ出している。このような現代社会をしばしば人間の進歩というが、果たして本当の意味での進歩といえるであろうか。
 我々人間は成長するに伴い自我が芽生え形成されていく。現代社会では百年前の社会とは比べようも無いほど膨大な情報量から、自我に基づいて自分で自由な選択ができる。しかし、今その選択の自由に翻弄され、本来いるべき立脚地に立てない人間の姿が浮き彫りにされているように感じる。
 私は三十年生きているが、明確に善悪の区別が存在している。その自己の中で構成されている自我(善悪)により区別し、選択し、取捨するのである。十人十色とよく言われるが、皆それぞれ基準をもっており、その自我と自我とのぶつかり合いが社会生活ともいえるであろう。そしてほとんどの場合、皆それぞれが自我の基準を絶対として信じてやまないのではなかろうか。争いはそこから生まれるのである。そして、私自身そこからどうしても抜け出せない。まず、自分が自我によって翻弄されているということに気づかず、真実を求める心も起こらないのではないだろうか。私達は自我が自分に対して独裁者となり、目指すべきところも分からずに、なんとなく悶々としたものを抱え独善的に折り合いをつけ生きているのである。
「煩悩具足の凡夫、火宅無常の世界は、よろずのこと、みなもつてそらごとたわごと、まことあることなきに、ただ念仏のみぞまことにておわします(歎異抄 後序)」
親鸞聖人はまさに人間の自我が作り出す判断基準に真実(まこと)はないと説かれた。比叡山中にて、法然上人の念仏の教えに出会って、そのことに気づいていかれたのではないだろうか。
 では、真実とはいったいどこにあるのか、どうして出会っていくのか。親鸞聖人は続けて念仏のみぞまことにておわしますと説く。信國先生は
「・・私は不図その人に出会った・・・私は浄土へ往く・・・私は今夜、念仏して浄土に往く人を見て来たんだ・・・ただそれだけ。それで充分。(出会いより)」
と、真実に出会ったときの感動を表している。親鸞聖人が法然上人(念仏の輪)と出会ったように、信國先生はその人と出会い真実を見出した。人は師(善知識)の導きによって真実に出会い、初めて自我に翻弄される自分の姿を直視することが出来るのではなかろうか。
 この師と出会うということは中々難しいように思う。師と出会うということは、師自身の自我に傾倒するということではない。師の姿、または言葉を通してその背景にある真実と出会うということである。自我では到底太刀打ちできない、素直に両手を挙げて降参できるもの。あれはいい、これはいいといった取捨選択から開放してくれる真実に会うということ。皆が共に生きられる場となるのではなかろうか。
合掌
江戸川本坊 溝邊 貴彦      

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