仏教人生大学
お電話でのお問い合わせ(葬儀24時間電話相談):03-5879-4501
銀座キャンパス
資料請求・お問い合わせ
基本講座
仏教入門講座
聖典講座
教養講座
出張講座
外に出て学ぼう

Home トップページ  >  今月の法語  >  待つ人のありとしきけば異国の草をわけても尋ねゆかなむ 暁烏 敏 

2008年09月
待つ人のありとしきけば異国の草をわけても尋ねゆかなむ

暁烏 敏 

 今月のともしび掲示板のことばは、暁烏敏先生のことばを紹介いたします。
先生は目がご不自由でしたが、敢えてそのお体で法座に行かれたのは、先生が来るのを待っている人々との触れ合いを大切にされたからです。先生は共に念仏のみ教えを聞きながら、その人々が持っていながら気付かないでいる尊いものを、一人ひとりから見出され、それを教えられました。先生は「教える」ということについて、
 教えるということはどうするのだというと、 向こうの中にあるものを聞くことなのだ。 向こうの中に尊いものがある。自分の中に 尊いものがあると、その尊いものを向こう に見出すことができる、それを聞く。それ を聞くということは教えることなんだ。だ から本当の意味の教えというものは、また 一方からいえば崇めることなんです。
といわれています。
 さて、ここで先生とある人とが出会われた時の事を紹介します。時は昭和二十四年七月十九日の朝で、場所は北海道の旭川駅でした。旭川駅で先生は、当時三十一歳になる新潟出身の男性と出会いました。その人は病気で働くことも出来ず、貧しい生活をされていましが、ただひたすら念仏の教えを喜び、先生が旭川に来られてからは、先生の法座を四日間聴聞されました。しかし先生は目がご不自由でしたので、この人が先生の隣に来られても分からなかったのです。そして先生は当時の出会いのことを次のように記録に残されています。
 駅内に入ると既に二、三人の人があって、 挨拶をしておると、私のコートのポケット に手を入れる者がある。スリのしわざかと 思ってポケットに手を入れてみたら、小紙 幣のくしゃくしゃなったのが一握り入って おる。「これはどなたのです」というたら、 「それはあなたに上げるのです」という人 がある。「あなたはどなたです」というた ら、何とか答えられたが、私の知らない名 である。「どこのお方ですか」と聞くと、 「家はありません」という。「食事は」と 聞くと「あちらこちらでもらって食べてい ます」という。(略)「ご両親はおいでか」 と尋ねると、「父も母もいません。ただ親 様(阿弥陀さま)一人です。南無阿弥陀仏、 南無阿弥陀仏」と腹から出るような念仏を 称えた。(略)
 そして、「本年の春は本山(京都・東本願 寺)にお参りしてきました。これで五遍参 りました」という。「その路銀はどうした のか」と聞くと、「もらって参りました」 という。(暁烏敏全集より)
 先生はこの人の背後で、支えていた人々を拝まずにはおられませんでした。何故ならば、この人は病気で身体が弱く、働くことも出来ない生活でありながら、ただ「親様」(阿弥陀さま)のご恩を喜び、念仏を称えて生きている。そしてこの人のために衣食を恵み、ご本山に五遍もお参りする路銀を与え、さらに先生に布施をされた。それを知った先生は、この人の陰になりながらも、この人を助け、法を聞くご縁を何度も作り、長年に渡り支え続けていた人々を拝まれたのです。
又、先生は、「法を説くのは、持たないものを与えるのではなくて、もっていて知らない者に、持っていることを知らせることである。」といわれました。共に教えを聞いて、明らかにして行きたいものです。
船橋昭和浄苑 加藤 順節

  • 2025
  • 2024
  • 2023
  • 2022
  • 2021
  • 2018
  • 2017
  • 2016
  • 2015
  • 2014
  • 2013
  • 2012
  • 2011
  • 2010
  • 2009
  • 2008
  • 2007
  • 2006
  • 2005
仏教人生大学
資料請求・お問い合わせ
お電話でのお問い合わせ(葬儀24時間電話相談):03-5879-4501
Copyright © 仏教人生大学 All Rights Reserved.

ページトップへ