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Home トップページ  >  今月の法語  >  『浄土を得て後に初めて我々の人生が、本当に人生らしく光と意味とをもち始める』 信国 淳

2008年02月
『浄土を得て後に初めて我々の人生が、本当に人生らしく光と意味とをもち始める』

信国 淳

 あなたは満ち足りていますか。満ち足りた生活を送れていますか。自分を満たす欲は人それぞれで違うと思うけど、この私はどうなったら、自己実現ができた、満ち足りたといえるのだろうか。たとえば富を得る、名声を得る、恋人を得る等々。もし富を得たとしても、最愛の人を失った場合、その富が心のすき間を埋めてくれるのだろうか。もし病気で苦しんでいる人が、どんなにその病気を治したいと願っても治らない病だったら、この人の人生はただあきらめるしかないのだろうか。最近、薬害C型肝炎患者の方々に対して政府が「一律救済」をすると発表した。お金である。政府としてできる救済としてはお金であり、現実問題としてお金は大事であると思うのだが・・・。この患者さんの言葉に「好奇心でいっぱいだった私の心を、私の前に広がっていたあの人生を返してください」という言葉があった。もし人が生まれや才能や行為などの、結果によって自己実現や救済が左右されるなら、満ち足りた生活を送れる人はごく一部の限られた人だけになってしまうのではないだろうか。たとえどんな境遇に生まれようとも、この人生に光と意味をもち生きていくことはできないのだろうか。人間はいったいどうなることが自己実現できた、救済された、満ち足りたと言えるのだろうか。このことに仏教はどう応えようとしているのだろうか。
 そもそも、「満たす」とはどういうことなのだろうか。「満たす」ということは「欲」を「満たす」ということではないだろうか。「欲」というものが成り立つことによって、「満たす」ということが成り立つのではないだろうか。だから自己実現というのは生まれや才能や行為によって決まるのではなく、どういう「欲」をもつかによって決まるといえないだろうか。こういうことを言うと変なことをいうなぁ~と思われるかもしれない。私たちは「欲」の方はわかっている、大切なのは過程でありその結果だと思ってしまうのではないだろうか。しかしどんなに良い結果を得ようとしても、そもそも発した「欲」がまちがっていれば正しい結果は得られないことにならないだろうか。だからどうしたら正しい「欲」を見つけだすことができるかが、自己実現にとってとても大切なことなのではないだろうか。
例えば、「どんぐり」にとって自己実現とはいったいどうなることなのだろう。どんぐりが、ころころ転がることだろうか。「どんぐりの願い」 (因)はただひとつ、堅いからを破って「どんぐりの木」(果)になることではないだろうか。「どんぐりの木」が「どんぐりの願い」の実現された姿だとしたら、「どんぐりの木」は、「どんぐりの願い」を知っていることになるのではないだろうか。だから「どんぐりの木」に聞けば、「どんぐりの願い」を見つけだすことができるのではないだろうか。
 人間の本当の願いを実現した方の名まえを『仏陀』とか『仏』というのなら、仏に聞けば、仏からの呼びかけに応答する私の願いを見いだすことができるのなら、この私の本当の自己実現が可能になるのではないだろうか。才能や行為でなく、「欲(おもう)」が「因」となり、自己実現が実現されるのではないだろうか。また「欲(おもう)」は病気で身動きできない人も、明日死ぬことがわかっている人でも、できることではないだろうか。
 『浄土』とは、「人間が自己実現(救済)された世界」「欲によって満たされた世界」のことではないだろうか(人間の思いの延長線上にある世界という意味ではありません)。だから人間は『浄土』を得てはじめて「満ち足りた生活」を送ることができるといえるのではないだろうか。
 ご先祖さまが大事に伝えてくださった『浄土』を、今一度見直してみませんか。

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