「運が良くなるのを祈るのではなく
どのような縁でも
生きていけるようになりたい」
年頭にあたり、謹んで新春の挨拶を申し上げます。
この時期は電車の中吊りやラジオなどで大々的にお寺の宣伝がされています。多くは除災(厄除け)招福(開運)が謳われています。
しかし昨年の元日の16時10分に能登地方において激甚災害に指定されるほどの大きな地震が起きました。元日にお寺参りをしたり、神社に初詣をしても地域の方はみな被災しました。どれほど祈ったとしても、地域が地震になれば私だけ地震に遭わないということはできません。
もし災害に遭わないようにすることが御利益だと考えれば、お参りしたのに災害に遭えば神も仏もあるものかと思うかもしれません。しかしだからこそ仏教の教え、なかんずく、阿弥陀さまの本願の教えは説かれるのです。
『観無量寿経』では苦悩する人の求めに応じてお釈迦さまは「苦悩を除く法」を説きます。そしてお釈迦さまがお説教されると同時に、現前に阿弥陀さまが立ち上がると説かれています。さらに経典には、阿弥陀さまを念ずるには、阿弥陀さまがお立ちである足下の蓮華を念じることを教えています。
蓮華は、汚泥に深く根を張りながら、浄らかな花を咲かせます。阿弥陀さまが説かれた「苦悩を除く法」とは、蓮華によく似ています。阿弥陀さまは思い通りにならないことも思い通りにしようとして苦悩する私のことをよく知っています。いざ災害に遭えば、答えがないと頭では分かっていても「なぜ、どうして私がこんな目に合わなければならないのだ」と感じ、生きる力も奪われてしまうかもしれません。それでも腐らせずに、この苦悩の只中に置いて美しい人生の華を開かせようとしてくれているのです。
阿弥陀さまの教えは苦悩を消して思い通りにさせる除災招福を私たちに説きません。思い通りにならない苦悩(煩悩)に寄り添い、そこからともに立ち上がり生きていく力を与えてくれる弥陀の本願の教えを説いているのです。
今年も、證大寺 昭和浄苑では仏教聴聞の場を開いてまいります。親先祖が大切に伝えてきた仏教の教えをともに聴いてまいりませんか。皆さまのお越しをお寺はいつでもお待ちしております。
住職 井上城治