これは子供に絶大な人気を誇るテレビアニメ「アンパンマン」の主題歌の言葉で、原作者のやなせたかしさんが作詞をされました。私はこの歌は、仏さまからの応援歌だと感じています。
私たちは幸せになりたい、喜びに満ちた人生を送りたいと求めながら、「なにが君のしあわせ なにをしてよろこぶ」と改めて聞かれると、明確に答えることができないのではないでしょうか。家族や自分が元気であること、仕事がほどほどうまくいき、お金にそれほど困らないこと、好きな人と結ばれること、どれも私の幸せや喜びにつながります。しかしそれが「君の幸せ?」と問われれば、それを得ても当たり前にしていれば幸せとは感じません。
今年最初の掲示板の言葉は、「定年後、ひととおり行きたいところ行き やりたいことはやってみた。でもなんだか空しい。このままでいいんだろうか」というものでした。定年退職をして、休日などの予定を気にせずに行きたかったところに行き、ずっとしたかったことができる、これは就業中や子育てで忙しかった間には大きな希望だったはずです。しかしやりたいことを一通りやった後に、「なんだか空しい」と感じるのが我々でもあるのです。それはなぜでしょうか。
私は人間に最後まで残る最も強い要求が「生まれた意味」を明らかにしたいという要求だと思います。それが明らかにならない限りは、どれほどお金を得ても、他者の評価を得ても、何のためのお金や評価かが分からなくなり空しいと感じるのだと思います。お釈迦さまは『仏説無量寿経』に「如来所以 興出於世 欲拯群萠 恵以真実之利」(仏が生まれたのは、人々に偽物ではなく、真実の利益を与えるためである)とお説きになりました。真実の利益とは、本当のよろこびや幸せと言ってよいと思います。
親鸞聖人は「正信偈」にて、お釈迦さまが生まれた理由は、ただ弥陀の本願を説くためだと述べ、真実の利益とは、弥陀の本願を説くことを聞くこととしています。弥陀の本願を聞けば、だれしも無条件に信じられ、大切にされ、幸せになるように応援されていることが分かります。お金や評価がなくても、会えて良かったね、お世話になってありがとうございました、と言えるところに喜びがあるように私は感じます。
「なにが君のしあわせ、なにをしてよろこぶ」という掲示板の言葉は、仏さまからの問い掛けだと思います。生まれてきたことの幸せや喜び、そして意味に気付け、このままで良いのですか、と呼び掛けられているように感じます。そして「わからないまま おわる そんなのは いやだ!」と言う言葉は他ではない私の本当の声だと強く感じます。
お寺は仏教を聴聞するための場所として開かれました。證大寺・昭和浄苑の仏教講座に自分の人生を学びに来ませんか。お寺は皆様の参加をお待ちしています。
證大寺 住職 井上城治