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Home トップページ  >  今月の法語  >  「平生に臨終すんで 葬式すんで  なむあみだぶつの中におる」浅原才市

2014年08月
「平生に臨終すんで 葬式すんで
 なむあみだぶつの中におる」
浅原才市

今月の言葉は、妙好人(みょうこうにん)、浅原(あさはら)才市(さいいち)さんの言葉を紹介します。
妙好人のことを禅の大家鈴木(すずき)大拙(だいせつ)氏は、「文字も分からないような一般庶民の中で、お寺に参って念仏の教えを良く聴聞されて、その教えの要を体得された念仏者のことを言う」と申され、全国の妙好人を探してその言葉を公表しました。
 才市さんは今から百六十四年前の嘉永三年(一ハ五〇年)に島根県に生まれ、下駄職人として生活されましたが、ある時福岡県の万行寺住職、七里(しちり)恒順(こうじゅん)氏と出遇い、師より教えを直接ニ十一年間聞かれて、聞法の気付きを自分の言葉として他の人へ残されました。
 私は学生の時にこの言葉を聞いて、さっぱり分かりませんでした。しかし耳の底に留まっていたので、その後の聞法からこのように気付かされました。
 昔の才市さんは自分が老・病・死を迎えることを知りながら、思うように成らない苦悩から解放されませんでした。又、七里先生と出遇う前は、人生で得た知識を頼りとしていたのでしょう。才市さんの知識で老・病・死の苦悩の解決は出来ません。
何故かと言うと釈尊は、老・病・死は縁に因って起こる、「縁起」を説かれたからです。縁に因って起こるから才市さんが得た知識は通用しません。このことを知らないまま、しかも教えを聞くとことがなければ、永遠に真理を知ることは出来ません。
真理に暗いことを「無明(むみょう)」と言い、教えを聞く前の才市さんは「無明の闇の中にいた」のです。
 しかし七里先生の教えを繰り返し聞法することにより、才市さんは真理を求めずにはおれない求道心が芽生えて、阿弥陀仏の智慧のはたらきによって、無明の闇が崩壊されたのです。崩壊された闇はもはや阿弥陀仏の智慧のはたらきに抵抗出来ずに「葬られる」ことになります。これを才市さんは「葬儀の葬」と抑えたと思います。
 そして「葬儀の儀」とは、このことに気が付かず、煩悩の欲するままに生きていたことで、老・病・死の苦悩を解決出来無い愚かな自分を、「儀」と自覚し、これを自覚する迄の仏事と仏縁を才市さん独自の解釈として、「葬儀すんで」と言われたと思います。
又、「臨終(りんじゅう)すんで」の臨終の「臨(りん)」を辞書では「良く見える」。「終(じゅう)」とは「ついに」と言う意味ですから、才市さんの言う「臨終」とは医師が告げる死亡の意味では無く、「ついに才市は聞法によって、縁起のままにしか生きることが出来ないことが、良く見えるように成った」ことが才市さんの臨終であり、このことが死後では無く平生であるから、「平生に臨終すんで、葬式すんで」と言われたと思います。
 そして最後の「なむあみだぶつの中におる」とは、才市さんが縁起するいのちに身を任せて、今いのちが才市さんを生きていることに感謝出来るように成ったので、今まで無明の闇の中にいた才市さんが、今度は阿弥陀仏のはたらきの中いる。それを「なむあみだぶつのなかにおる」と言われたのではないかと思います。私はこの言葉こそ仏教終活の内容だと気付かされました。

船橋昭和浄苑支坊 加藤 順節

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