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Home トップページ  >  今月の法語  >  生まれて そして 死していく釈尊

2013年04月
生まれて そして 死していく
釈尊

 私達は自らの「死」について真剣に考えたことがあるだろうか。生まれたから死ぬのだ、とお釈迦さまは説かれております。生まれたという因があるから、死という果を得るのであって、病気も怪我も縁である。生まれたということの裏には、必ず死してゆかねばならないということが教えられております。
 四門出遊という教えが釈尊伝の中で言われております。お釈迦さまが出家する前の皇太子だったころ、従者をつれて次々と四つの門を出られた物語です。

 先ず東門から出て会われたのが老人です。皇太子が従者に「あれは何者か」と尋ねます。従者は「はい、老人でございます」と答えました。さらに皇太子は「私もあのようになるのか」と問うと、「はい、長生きをしたならば、否応なしにあのようになります」と従者は正直に答えました。皇太子は、年をとることは知っていても、自らがあのような老人になるとは考えてもみなかったのです。
 その時、皇太子は、若さの裏には必ず老がついていることを知らされます。また、南門では病人に出会われ、健康の裏には病気ということがついていることを知らされます。西門では死者に会われて、生の裏には必ず死のあることを知らされるのです。そして最後に北門を出た時、出家者に出会われました。
皇太子は出家者の清らかな姿に心をうたれ、この生死の問題を解決するため、自ら出家の道を選ばれたのです。『仏説無量寿経』には、「身自当之 無有代者 (身、自らこれをうくるに、だれもかわるものなし)」と説かれております。また、蓮如上人の御文には「生あるものはかならず死に帰し、さかんなるものはついにおとろうるならいなり」とあります。

 その意味では私の思いとうらはらに、死こそ必然で、生は偶然なのだと教えられます。私は、生きている事ほど確かなものはなく、死はないものだと思い違いをしております。しかし死こそ必然なのであります。「生活」という言葉があります。
「生」も「活」も、どちらも「いきる」と読めます。そして「生」は「うまれる」ということであり、「活」は「くらし」という意味をもちます。それは私たちが生きていくなかで、そこから何を生み出し、どう活きていくのかが真剣に問われているのだと思います。

 私たちの命はいつ亡くなっていくのかも知りません。だからこそいつ亡くなっても満足できる人生だったといただけるような生活をしたいものです。お釈迦さまの生き方をとおして、私こそ「生まれて そして 死していく」身であることを共に学んでいきたいと思います。

船橋昭和浄苑支坊 黒澤 浄光

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