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Home トップページ  >  今月の法語  >  みずから光らないものは 他から光をうけて光る真 民 

2009年03月
みずから光らないものは 他から光をうけて光る

真 民 

 光る 光る すべては光る
 光らないものは 
 ひとつとしてない
 みずから光らないものは
 他から 光をうけて光る

 

 これは、坂村真民氏の「すべては光る」という詩である。
 私がこの詩に出遇ったのは、今から十七年前のことだ。太陽のような明るい心をもって人生を過ごせたならどんなに楽しいだろうかと思っていた頃である。しかし、「とかくに人の世は住みにくい」の言葉のとおり、人生の意義は不可解であり、毎日が煩悶の日暮しであった。そんな時にこの詩が飛び込んできた。真民氏は他の詩で、こうも綴っている。

 

 死のうと思う日はないが
 生きてゆく力が
 なくなるときがある
 そんな時 大乗寺を訪ね
 わたしはひとり
 仏陀の前に座ってくる
 力わき明日を思う心が
 出てくるまで
 座ってくる

 

 何とか自ら光り輝こうと、一生懸命がんばっていた。この苦しみの向こうにはきっと安心が得られるはずだと走り続けたその先は、またしても延々と広がる真っ暗闇の世界。もう一歩も歩くことができない。絶望である。このきわまりなく迷いの世界に生死をくりかえすざまを『正信偈』には、「生死輪転(しょうじりんでん)の家に還(か)来(え)ることは、決するに疑情(ぎじょう)をもって所止(しょし)とす」
と説かれている。迷いにしばられているのは、疑うこころひとつによるというのだ。
 他を疑い、自分をも疑ってやまない我が心に、自ら呪縛されていたのである。絶望の嘆きは、自力ではどうしょうも救われようのない「とても地獄は一定すみかぞかし」と我が身の正体を暴かせる如来の叫びではないか。そして、それこそが「光る」ということであると知らされた。
 真実の光は常に照らしてくださっているにもかかわらず、逃げ惑って、逃げ切れなくなった末に倒れこみ、瀕死の状態になったその時に、はじめて如来の大悲の光をみるのであろう。すべては光る。光らないものは、ひとつとしてない。みずから光らないものが、他から光をうけて見えてきたものは、隠しようのない我一人である。
 この恐ろしい我が身の正体が明かされ、もはや疑いようのない自身の事実のすがたに深く頷かされる。それが、「本願力に遇う」ということではないか。その如来の喚び声を聞いて、まことの心に、疑いなく従っていく身を、深くよろこばせていただくことが、光らない我が、「光る」瞬間ではないかと思う。
 その如来の声が耳のそこに留まったときに、今までの流転輪廻の迷いの命に終わりを遂げ、本願に生かされる命を賜わるのである。
 私は、この重なって生きてくださる命を「弥陀弘誓のふね」といただいている。もはや自分の力では越えることのできない不可解なる人生の荒波を、この願船に乗じて渡らせていただくことを親鸞聖人は御和讃に残され、私に、ただ念仏申すことを勧めてくださる。

 

 生死(しょうじ)の苦(く)海(かい)ほとりなし
 ひさしくしずめるわれらをば
 弥陀弘誓(みだぐぜい)のふねのみぞ
 のせてかならずわたしける
 『高僧和讃』

 

 智慧(ちえ)の光明(こうみょう)はかりなし
 有量(うりょう)の諸相(しょそう)ことごとく
 光(こう)暁(きょう)かぶらぬものはなし
 真実(しんじつ)明(みょう)に帰命(きみょう)せよ
 『浄土和讃』

 

江戸川本坊  大空

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