最近、テレビや新聞で「地球温暖化」という言葉を頻繁に耳にするようになりました。今、私たちの住むこの地球に異変が起きているのです。例えば、北極で生活しているトナ力イやホッキョクグマたち。今これらの生き物たちは、地球温暖化の影響で海氷が解け、絶滅の危機にあるそうです。地球の異変によって、地球に住む生き物にも異変が起きているのです。
この温暖化の原因は、人為的なものであるといわれています。この私の生活の結果が、私から遠く離れたところで、まじめに慎み深く生活しているトナ力イやホッキョクグマたちの生活を、危機に陥れているのです。一見、私にはなんの関係もなさそうな、遠く離れた場の生活ですが、地球をひとつの“いのち”とみたときにこの私と“関係ない”といえるでしょうか。 私の生活している森林公園昭和浄苑は、今緑が美しく輝いています。そしてたくさんの小鳥や小動物そして虫たちが共に生活しています。時々、でっかいム力デ君がゴソゴゾ家の中を這い回っているのを発見しギョーとし、後はム力デ君を追いかけまわすこともあります。
しかし、よくよく考えてみればこのム力デ君がいるからこそ、このム力デ君が生活できる環境 (場)があるからこそ、この私(人間)もこの環境(場)で生活することができると思います。もしも、この地球の大地が死に、空が死ねばム力デ君は生きていくことはできません。ム力デ君が生きていくことのできない環境(場)は、この私(人間)も生きていくことができません。環境というと何か私の外にあって、この私とは直接は関係がないように思われますが、しかし、環境によってこの私が生かされているといえるし、またこの私の生活によって、環境がつくられていくともいえると思 います。環境と私は、別々に存在しているのではなく、深いつながりのなかに存在していると思います。
この地球は人間だけのものではありません。さまざまな個性の違う生き物や植物が、共に生活する環境(場)です。しかし、人間だけが(人間中心の)生活できる環境(場)にしていったことが、今の地球の異変をまねいているのではないかと思います。この私を育み、そして生かしてくださっているこの地球(場)が、今、問題となっているのです。そして今、いろいろな国々の人が、政治的に科学的にこの“温暖化”の問題を解決しようと努力されていますが・・・・・ 。
この環境を考えていくことが、“私が本当に生きる”ということになるということを教えてくださったのが親鸞聖人だと思います。親鸞聖人は「浄土」ということを教えてくださいました。「浄土」の 「土」とは、生活とか環境ということをあらわす言葉です。「浄土」というと、一般的に死後の世界と考えられていますが「浄土」とは死後の世界ではありません。「浄土」とはホッキョクグマやムダデや人間が共に生活できる“共通の場”のことをあらわします。この地球を人間中心の場にすることを浄土とはいいません。私たちは「浄土」を依りどころとして生きることによって、はじめてこのひとつの地球にいだかれて、さまざまな生き物と共に生きていく世界がひらかれていくことができると、親鸞聖人は教えてくださっています。
私たちのご先祖さまが大切に伝えてくださった「浄土」を、今一度見直してみませんか。
千部 英史