「大丈夫だよ 生きていけるよ」
祖父江 文宏
向春の候、皆様いかがお過ごしでしょうか
新年を迎えて一か月以上過ぎましたが、世間においては、既に様々な事が起きていることをニュースを通して知らされます。
お釈迦様はこの世界を諸行無常の娑婆世界と教えてくださいました。さて、「娑婆」とはインド語の「サハ―」の音写です。意味は、「堪忍土」です。つまり、この世界は苦しみを堪え忍ぶ世界という意味です。この苦とは何でしょうか。それは生老病死(四苦)の身より生まれる苦悩が、常にあるからです。また、我執から生じる苦悩です。
このような苦悩を身に抱えて生きる現実世界を娑婆というのです。
また、この娑婆を生きる我々を「衆生」と言います。この言葉ももとは、「サットヴァ」
という言葉の音写です。意味は「有情」で、心を持っている者を指します。また、群生・群萌ともいい、一切の生類を指します。
つまり娑婆と衆生を合わせて受け取ると、苦悩を感じながら生きる者達が、互いに苦悩を耐えながら生きる現実の世界なのです。
本当に生きるという事は大変な事です。このような私に「大丈夫だよ 生きていけるよ」と、呼びかけてくださるはたらきがあるのです。
この法語を誰が私に向けて言って下さるのかを考えると、『仏説無量寿経』の教えを思い起こしました。
「大悲を興(おこ)して衆生を愍(あわれ)み、慈弁を演(の)べ、法眼(ほうげん)を授く」
「諸(もろもろ)の衆生に於(お)いて、視(み)そなわすこと、自己の若(ごと)し」
『仏説無量寿経』「真宗聖典(第二版)」6頁
この言葉はお釈迦様が菩薩とはどういう存在であるのかを述べられた言葉です。私はこの言葉を私事としていただきますと、菩薩とは他者を「自分自身」のことのように視ることであると思いました。
このようにお釈迦様は私に真の菩薩とはどういう存在であるかを語り掛けてくださっています。しかし私は自分のことのように他者を視ることも、思いをかけ続けることも難しいことだと感じます。お釈迦様の教えから、私の現実の姿を知らされると、他者との関係性をどのように生きて行くのが真の菩薩であるかを問われました。
そしてこのような私を常に励ましてくださる言葉が、「大丈夫だよ 生きていけるよ」という如来の言葉にまでなって、聞法が疎かになる私を激励してくださる言葉として受け止めました。だからこそ、聞法を大切に「生きていこう」と思うのです。
森林公園支坊 目﨑 明弘