世界最悪の居住地といわれるインド:カルカッタの貧民街で、長きにわたり、回復のない重病人や死期の迫った人たちの世話をし、ハンセン病患者のための施設、炊き出し施設、児童養護施設、学校などを運営し、現在でも後進の修道女たちにテレサの「愛」のもと受け継がれています。
「貧しい人の中のいちばん貧しい人に仕える」ことに全身全霊で生涯を捧げたテレサは「貧しい人を愛し、共に生きるために、自分たちも貧しく、無駄があってはならない」ことを信条として、いつの日か、社会が改革されて、貧しい人々が、この地上からなくなるまで、共に生きることが必要と献身の日々を送られました。
先日、フランス:パリで中心部のコンサートホールや北部のサッカー場などを標的とした同時多発テロ事件が起きました。相次ぐイスラム国を名乗る過激派組織の行動に怒りと恐怖をおぼえます。身勝手な幸福追求のために罪のない犠牲者が世にあふれ、殺伐としてゆく中、空爆の激化、難民問題と異例の事態と化しています。いかなる事情があろうと、幾万の言葉をならべても、何人も命を奪うことを正当化することはできません。これまで、多くの戦争が「自らに正義あり」として行われてきました。70年前の世界大戦の傷は、今もなお関係せざるを得なかった人々を苦しめています。では、戦争をなくすために、圧倒的な武力を持てばいいという考えもあると思います。ただ、それで解決するものではないことは、人類の歴史が証明しています。
お釈迦様の説かれた『仏説無量寿経(ぶっせつむりょうじゅきょう)』には「兵戈無用(ひょうがむよう)」とあります。本当の平和とは、兵士も武器も必要ない、暴力の影におびえる必要のない世界です。この背景には「不殺生戒」「殺すなかれ」というお釈迦様の思想があります。それは誰もが望むであろう理想です。それをただの理想で終わらすことなく、どう実現していくのかが問われています。仏教は「全てのものは繋がっている。関係を持つことで成り立っている。ひとりで存在するものはない」と考えます。
私という命は有限な存在ですが、間違いなくこの時代を生き、社会を構成する一人です。今起きている数々の出来事と無関係ではありません。故に関心を持ち続けて生きて行きたい。それが一仏教徒として、一人間としての私で有りたいと願うのであります。
證大寺・森林公園支坊 渡邊 晃