団塊の世代が65歳を迎えた今年、セカンドライフなどの表現で、これからの人生を充実させようと様々な業界から提案がされています。しかし私達はこれまでと同じ価値観で消費し、欲を満足させても、それだけでは空しいことに気付き始めています。
それでは、空しさを超えるにはどうすれば良いのでしょうか。それにはこの問題を解決した先生に教わることが大切だと思います。私は、私達の先輩である親先祖の定年(隠居)後の過ごし方が大いに参考になると考えます。先輩方は、定年後は寺に通い、自分の来しかた行く末を学びました。このことを明らかにするために釋尊や親鸞聖人などの宗祖を
先生に選び、人生を学んだのです。
釋尊は二千五百年ほど前に、釋迦族の王子として誕生しました。あらゆる欲望を満足させながらも、それだけでは人生は空しいと覚り、生まれた意味と生きる意味を求めて出家され、遂に本当の満足や喜びを明らかにされました。私達の親先祖は、このことは釋尊一個人の事だけでなく私達を導く真理であること、私達の代表として釋尊が悩み、そして真理を明らかにしてくれたと感謝し、後世に仏教を伝えたのです。そして仏教は今でも、私達が生きる意味と生きる喜びを学ぶための教えが詰まっています。
私はセカンドライフ、第二の人生として、もう一度、学生になることを提案します。それは高校や大学に入るのではなく、定年後に堂々と「生まれた意味や生きる意味」を勉強し、そこで学んだことを次世代に伝えてほしいのです。
私達の人生はまだまだ道半ばです。人生に定年退職はありません。證大寺昭和浄苑の仏教終活で学び、寺友と共に人生を深めて参りましょう。
證大寺住職 井上城治