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Home トップページ  >  今月の法語  >  信心に自己を発見し、往生は十方衆生を発見する暁鳥 敏

2011年08月
信心に自己を発見し、往生は十方衆生を発見する

暁鳥 敏

 親鸞聖人が作られた正信偈(しょうしんげ)の始めに、「帰命(きみょう)無量(むりょう)寿(じゅ)如来(にょらい)・南無(なむ)不可思議光(ふかしぎこう)・法蔵(ほうぞう)菩薩因(ぼさつい)位(に)時(じ)・在世(ざせ)自在王佛所(じざいおうぶっしょ)・・・・」言う言葉がある。ここに法蔵菩薩と世自在王佛が登場する。これは 『大無量寿経(だいむりょうじゅきょう)』が元になっている。この二人の出遇いを経典はこの様に説いている。
 昔、ある国に法蔵と言う国王がいた。ある時、世自在王仏の教えを聞いて深く感動し、師の様になりたいと、国と王位を捨て、修行者となった。そして過去に諸仏が建立した国土より優れた国土を建立し、生きとし生きる十方衆生を救済する方法を考えた。しかし未熟で分からない為、師に訪ねた。師は、「貴方自身で知るべきである」と突き返した。と説かれている。
 さて、この師の言葉の意味を暁鳥先生は、「おまえ自身に目覚めよ」と教えている。又、法蔵が建立したい国土は、「自ら教えを聞いて、自分が何者であるかに目覚めたところにある。」と言う。それでは本当の法蔵とは何者なのか。法蔵は国王で有った。そんな事では無い。 国王と言う事を自我意識として問題にしているのである。私共の中に素直に人に頭を下げられない心があるのではないか。即ち、自負心が邪魔をしているのではないか。謙虚な心を失っているのではないか。そう言う事を経典は国王意識として、自我意識として教えている。そしてその法蔵が教えて貰う人になった。それから教えに頭が下がる人になった。教えに頭が下がるとは懺悔である。法蔵が教えを聞いて知らされた事は、「人として生まれた意義が分からなかった事。だから地位、財産、名誉、自負心等、何も救いの要素にはならず、かえって人間らしく生きる事からずれていた。」と言う事だった。法蔵はその冨を失わない様に、大切に抱えていた自分を知らされたのである。実は常に法蔵の内面からその事に気付けと、はたらきかけていた、「はたらき」が有った。しかし法蔵は気付かなかった。それが師の教えを聞いて遂に行動となって動き始めた。その行動が、国と王位を捨てて、教えを聞く人になる事だと思う。この行動を起こすはたらきこそ、「人として生まれた意義を知れと言う、法蔵自身の内面からのはたらき」ではないか。法蔵とは何者か。それはこの「はたらき」である。この教えこそ仏が衆生を救済する為の根本の願いである。人として生まれた意義とは、「私を人間らしく生かせたいと言う、仏願の種を誰もが持っている事。」を知る事ではないか。その仏願を信(まこと)の心と言い、親鸞聖人は「信心」と言われた。暁鳥先生はその事を、「信心に自己を発見し」と言われたと思う。その信の心が自己となって、人々と共に聞法し教えている人が、世自在王仏で有った。法蔵はその師と、師が教える環境に出遇えた。先生の言葉に「往生」とあるが、往生とは、「人として生まれた意義を具体化して行く為の、師と環境が見つかる事」ではないかと思う。それが自我意識が回復し、人間らしく生きる第一歩ではないか。そう言う仏願の種を皆が気付かずに持っている事を見出せた感動を、「往生は十方衆生を発見する」と言われたと思う。

船橋昭和浄苑 加藤 順節

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