ジョブズ氏は、アップルというコンピュータ会社の創業者で、世界で最も影響力ある人物の一人だ。彼は17歳の時に、「一日一日を人生最後の日として生きよう。いずれその日が本当にやってくる。」という言葉に出会って人生に対する態度が変わり、仏教の影響を強く受けながら掲示板にあげた言葉を毎朝、自分に問いかけてきた。私たちは2011年3月11日の東日本大震災を通して、人生最後の日が誰の上にも突然にやってくることを改めて知らされた。
将来の王として誕生した釈尊は、私の求めてやまない金銭力、権力、名誉を得てもなお「老・病・死」の前にはすべてが空しいと感じ出家した。釈尊の歩みは、人間は欲望の満足だけでは空しいことを教え、突然訪れる最後の日でも安心して生きていけるよりどころを求めよと我々に示している。それでは、私にとって人生の最後を託していけるよりどころとは何か。それを考える上で、私には亡き父の言葉が指針となっている。
末期の癌だった父は死の数日前、「やりたいことは全部した。いま、死んでも悔いはない。だけど悔いが残る。」と述べていた。さらに「お前は仏教を学ぶ仲間がいて良いなあ。俺ももっと仏教を学んでいればよかった。」と述べた。したいことをすべてしてきたにもかかわらず残る悔いとはなにか、そしてなぜ仏教を学び、仏教を学ぶ仲間を求めたのか。
父のこの言葉は、死を前にしての不安や後悔の言葉でないかと危惧していた。しかし何をしても本当の満足のなかった父が、最期に託していけるよりどころを見出した満足の言葉であったと今は感じる。現在の自分に満足がなければ、どれほど欲望や願いを実現しても不安である。本当の満足は、未来に何かを実現して得られるのではなく、人生最後の日かもしれない今日、安心して託していけるよりどころを見出すところに開かれるのではないか。
住職 井上 城治