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Home トップページ  >  今月の法語  >  救われなくてよい、という救いがある。 三明智彰

2009年07月
救われなくてよい、という救いがある。

三明智彰

 救われるというのは、どういうことだろうか。なにかの状況によって苦しめられている人は、苦しみの原因が取り除かれれば、救いと感じるだろうか。しかしどれ程、状況が好転しても苦しみは無くならないと思う。なぜなら生きている限り問題が無くなることが決してないからである。
 春の昭和浄苑でのお彼岸法要にてご法話をして頂いた種村健二朗先生は大勢の末期癌の患者を看取った経験から「患者は末期癌になって苦しむのではなく、思い通りにならないことを思い通りにしようとすることで苦しむ」とお話されました。また、「苦しみを取り除くのではなくて、末期癌を通して人として成長する中に苦しみからの解放がある」と述べています。
 お釈迦様は「人生は苦しみである」と教えました。その理由として、「執着するからだ」と教えています。執着する心とは、思い通りにしたい、変わりたくない、など思い通りにならないことを思い通りにしたいという執着から生まれます。私達は思い通りにならないことを、思い通りにしようとしますが、思い通りにならないことをそのままに受けとめるには智慧が必要です。
 先日、空から魚が降ってくるという不思議な事件が石川で起きました。その事件の当事者のお婆さんは取材に対して「右を向いても左を向いても拝むしかない。すべてお陰さま」と答えていました。このお婆さんの言葉は、直接には何も答えになっていませんが、思い通りにならないことは、仏さまに任せるしかないという落ち着きがあるように感じます。思い通りにいかないことを、思い通りにならないこととして受けとめる智慧を仏さまから頂いた言葉だと感じます。
 救いについても、救いの内容が「思い通りにしたい」ということであれば、永遠に救いは得られないことになります。しかし思い通りにならないことを正しく受けとめるところに、思い通りにしなければ苦しいと思いこんでいた我執が破られ、そこに落ち着いた世界が開かれてくるのだと思います。思い通りにしたい心は永遠になくなりませんが、思い通りにしたい心が永遠になくならない我執を持って生きている、と知らされるところに、思い通りにしたい心をもったまま安心して生きていける道があるのだと感じます。
證大寺住職 井上 城治

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