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Home トップページ  >  今月の法語  >  願いがあるからどんな苦しいことがあっても  生きて行けるのです。児玉暁洋

2013年07月
願いがあるから
どんな苦しいことがあっても
 生きて行けるのです。
児玉暁洋

 私は昔京都大谷専修学院に入学した時、五十代の先生と出遇いました。授業中に居眠りをしたら先生は机を叩き、「起きなさい、寝ている場合か、君は何故この学院に来たのか、君は仏(ぶつ)に成りたくないのか」と大喝されました。私はその時、「君は仏に成りたくないのか」と言われて腹が立ちましたね。それと言うのも学院に入学した動機は、約三十年前に膵臓を煩い、入退院を繰り返すほど死を身近に感じ、「死んだらどうなるのか」と、あるお寺に相談したことが始まりでした。しかし話を聞いても理解出来ず、偶然に京都の東本願寺総(そう)会(がい)所(しょ)で出遇った僧侶から、「君の場合は大谷専修学院に行け」と助言されました。当時、「仏」とは亡くなった人のことだと思っていましたので、「君は死にたくないのか」と聞こえて腹が立ったのですね。  今では笑い話ですが、この時の先生が児玉暁洋(こだま ぎょうよう)先生でした。
 私は仕事を辞めて、今は無き本願寺修練舎鞍馬口寮(しゅうれんしゃくらまぐちりょう)に来ました。来て驚いたのは築五十二年の木造二階建ての民家。そして学生十八人が六畳間に三人での共同生活。扇風機やこたつなどは持込禁止で、風呂が無いことでした。私はここに来て始めてテレビの無い生活をしましたね。
 私が児玉先生から学んだことは、「緑の草は、黒い土と、青い水で育つ。牛が草を食べると、草は死ぬ。死んだ草は、牛の赤い血に生まれ、やがて白い乳として甦る」と比喩された、「縁起」のことでした。
 縁起とは縁に因って起こる変容のことで、病気や死は変容の一つで、今いのちあることに感動と、充実感が無く生きていた身を知らされてからは、「死んだらどうなるのか」の問題は、「今、いのちある身」が問題となり、教えを聞く姿勢を徹底して教えられました。そして卒業式に笠原学院長に呼ばれて、学院賞を手渡された時、「これを励みとして、更に真宗精神を体得すべく努力精進せよ、聞法に卒業無し」と申された言葉を、釈尊八相成道の、「出胎(しゅったい)」を担当して思い出したのです。
 釈尊の出胎は、『無量寿経(むりょうじゅきょう)』に、「右脇(うきょう)より生じて現じて七歩(しちぶ)を行ず。(中略)声を挙げて自ら称(とな)う。我当(われまさ)に世において無上尊(むじょうそん)となるべし」(真宗聖典二頁)と説かれていますが、私はこの意味を、「釈尊が本当に尊いものは何かを求め、決して他と比較せず、釈尊が釈尊自身に満足出来る人間に成る為に、これから道を求めて止むことがないことを宣言した言葉」であると思っています。
そして釈尊が後に仏陀と成って説かれた教えは、私たち一人一人が、「本当にやらずにはおれないこと」を見出すはたらきとなり、「僧伽(さんが)」と呼ばれるような、釈尊の教えに生きる仲間が多く誕生しました。 卒業式に学院長が申された、「真宗精神」とは、この僧伽を生み出す精神だと思いますね。
 ですから学院長は私に、「本当にやらずにはおれないことを見出せ」と奨励してくれたと思います。そして私が見出したものは、刑務所や少年院などの施設に於いて、罪を犯した人に仏教の教えを話し、更生の道と社会復帰に努め、その人の中にある尊いものを見出して具体化して行く、「教誨師(きょうかいし)」に成ることです。
 学院長は教誨師育成研修が大幅に滞っている私に、「願いを成就せよ」と獅子吼(ししく)され、児玉先生からは、「願いがあるからどんな苦しいことがあっても生きてゆけるのです」と奨励されている身が、今当に問われています。

船橋昭和浄苑支坊 加藤 順節

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