私達は生まれたからには老い、病み、死んでいかねばなりません。釈尊は二十九歳の時に諸行無常が他人事でなく、わが身のことだと深く感じる次のような出来事がありました。
あるとき皇太子時代の釈尊が東門から城を出ると老いに苦しむ人をご覧になりました。つぎに南門から城を出ると病に苦しむ人を見ました。さらに西門からは死者を送る葬列にあいました。諸行無常の前にはすべてが失われてしまうことに気付いた釈尊は、皇太子として国で一番の金銭、名誉、権力、健康を手に入れ、美しい妃と世継ぎを持ちながらも深く悩まれていました。最後に北門から出ると老病死を超える道を求める出家者に出遇い、これこそ自分が求めるものだと感じ、皇太子の位を捨てて出家をしました。これは釈尊個人のことではなく、老病死に悩む私たちを代表して、老病死を超える道を釈尊が求められたこととして伝えられてきました。
『大無量寿経』には、金の鎖につながれて宮殿から出ることはできないが、皇太子のようにすべての欲望が叶う環境があれば、あなたはそれを求めるかと問いが出されています。ただし条件として、三つの宝(仏・法・法の友達)に会えないことが記されています。
ある国からアメリカに亡命した人が、アメリカは私の国と比べて物質的に恵まれていて、自由があふれている。しかし彼らはそのことには決して気付かないだろうと述べました。それはこの環境を当たり前にし、かえって欲によって苦しめられていることを示しています。宮殿の金の鎖とは、欲望に自縄自縛されること、三つの宝とは私の本当の願いやすがたに気付かせる鏡の役割を示しています。
この問いに対して弥勒菩薩が代表して「鎖を引きちぎって自由を求めます」と述べると、釈尊は「もろもろの衆生もまたまたかくのごとし」と述べ、人々の本当の願いも欲の満足ではないことを教えます。それでは本当の願いとはなんでしょうか。
現代ではアンチエイジングという名前で老病死を遠ざけようとしてサプリメントなどを用いますが、隋の時代の中国人はこのことを長生不死の仙術と呼んでいました。曇鸞大師という僧は、仏教を明らかにして人を助けるには長生きしなければと考えて、陶弘景という仙人から長生不死の仙術を学びました。しかし西域から来ていた菩提流支という僧は、限りあるいのちを迷いのまま伸ばすのではなく、真実の長生不死を求めよ。それは無量寿仏(阿弥陀仏)に帰依することだと教えられ、曇鸞大師は過ちに気が付き仙術を焼き捨て無量寿仏に帰依しました。
いのちは長さだけではなく深さがあります。諸行無常の生を全うし、生きていて良かったといえる生き甲斐を釈尊に学んでいきませんか。