「人生の目的は悟ることではありません。生きるんです。人間は動物ですから。」
現代日本の稀代の芸術家である岡本太郎の言葉である。岡本太郎といえば、大阪万博の『太陽の塔』や『芸術は爆発だ』のフレーズで皆様もよく御存知であろう。
生きるとはどういうことであろうか。目標に向かってがんばること、満足な生活をすること、ゴールに向かって歩むことなどなど生きることの定義は十人十色であろう。岡本太郎氏はこう言う
「生きるんです。」
非常にシンプルで飾り気のない、ある意味拍子抜けする定義であるが、誰も否定できないのではないだろうか。がんばることでも、我慢することでもなく、ただ生きるということ。これはいのち在る者の根源の願いであり、不可思議の定義であろう。赤ん坊は生きたいと必死に泣き、幼い子供は拙い言葉で訴える。行動の一つ一つがその根源的な願いに基づいているのだ。人間以外の動物をみれば、まさにただ、生きているではないか。
近年、日本では年間自殺者が毎年3万人を超し、お隣韓国はもっと深刻な状態であるという。何故この単純で唯一の生きるという定義が、我々人間社会ではヴェールに覆われ見えなくなるのか?知能が発達して文明を築いた我々人間は、少し傲慢になっているかもしれない。単純な道理にも意味をつけたがり、生きるということにすら高尚な意味を持たなければ安心できない。そんな歪(いびつ)な社会の中でしか生きられない我々に岡本太郎氏の
「人生の目的は悟ることではありません」
は、いのちの基に立ち返れとの呼びかけに感じるのである。
さて、来年に迫った親鸞聖人750回忌御遠忌のテーマは
「今、いのちがあなたを生きている」
である。このフレーズは、一見意味が難解で違和感を感じる。しかし、一度立ち止まってゆっくり問い直してみると、まさにいのちの根源である『生きる』という願いが自分の中に息づいていることに気づく。我々は、今まさにこの根源的な願いを見失い右往左往している世にあって、いのちに真正面から向き合うという事が絶対に必要であろう。
「生きるんです。人間は動物ですから。」
この単純な道理が、煩悩具足の我々にとっていかに難解で身にそぐわない事であるか、そのことを教えて頂くのが聞法であると思う。
江戸川本坊 溝邊 貴彦