「子供に 泣いて助けてって言われたら もう背中むけられないじゃない。」
〜ワンピースナミの言葉より~
今回は全世界で累計発行部数五億部を突破したワンピースの登場人物であるナミの言葉から仏の教えに尋ねていきたいと思います。
ナミは幼少期に育ての親を殺され、その後は海賊団に利用される日々を送ってきました。
主人公のルフィーに救われ、その生活から解放された彼女にとって、苦しむ子どもたちは、見過ごすことのできない存在だったのでしょう。
「子供に泣いて助けってって言われたら もう背中むけられないじゃない。」
この言葉は、目の前で助けを求める声に対し、かつて自らも救いを必要としていた者として、人として自然に抱いた、偽りのない思いであったように感じられます。
ここで思い起されるのが、仏教で説かれる、「弥陀の本願」という教えです。
弥陀の本願とは、阿弥陀如来が、迷い、苦しみ、「助けて」と願うすべてのいのちを、決して見捨てず、必ず救いとると誓われた願いです。この救いは、命終えた後の世界だけの話ではありません。
今を生きる私が、誰かの苦しみに触れ、背を向けられずに心が動く、そのあり方にもはたらいていると教えられています。
この言葉には、阿弥陀如来が全ての生きとし生けるものを救い、極楽浄土に生まれさせて仏にさせようと深く誓われた根本の願いが込められています。
ナミが子どもたちに背を向けられなかった姿は、「助けを求める声を見捨てない」という仏の本願の一つのあらわれだと私は感じました。祈祷などによってお金や健康を祈ることではなく、仏様に見守られている安心が、真の現世利益ではないでしょうか。
「南無阿弥陀仏」とひとたび念仏もうしたならば必ず救いとるという阿弥陀如来の願いが「光寿無量」という言葉によって表されています。
それは、計ることのできない距離と命(寿)をもって世界の隅々まで光で照らし、決して離さないということです。
親鸞聖人ご謹製のご和讃に、
『十方微塵世界の
念仏の衆生をみそなわし
摂取してすてざれば
阿弥陀となづけたてまつる』
「真宗聖典第二版583貢」
助けてと頼めば、どこまでも追いかけ、決して見捨てない、それが仏様の願いである、という意味にいただくことができます。
私自身、東京にきて間もないころにコロナに罹り、完治したその日に道端で自転車ごと転倒し、肋骨を骨折したことがありました。雨の日にもかかわらず、通りがかりの方が傘を差し救急車を手配してくださいました。
その出来事を通して弥陀の本願は、どんな人にも分け隔てなくもはたらいているのだと身をもって感じることができました。
専修学院在学時に竹中智秀先生からうかがった、「弥陀の本願は選ばず見捨てず、嫌わず、である」という言葉が、今もこの耳に残ってて離れません。
現代では「助けて」という声を聞いても、関わらないほうが得策であるという考え方があるのも事実です。
しかし、顔も名前もわからない隣人が深い縁で結ばれた存在である可能性も否定できません。
念仏のある日暮らしの中で、私自身もまた、誰かの「助けて」に耳を傾け、背を向けずにいきていきたいものです。
江戸川本坊 内野瑞覺

