「自己とは何ぞや。是れ人世の根本的問題なり」 清澤 満之
この言葉は私が卒業しました大谷大学の開学理念であり、初代学長・清澤満之の言葉です。
高校時代進学する大学を選ぶ時に、この言葉が紹介されているのを見た瞬間にこの大学に行きたいと思いました。当時は偏差値で大学を選び、進学クラスで受験戦争をするのが当然という空気の中で私は押しつぶされそうになり、最後は教室に入ることができず保健室登校をしてなんとか卒業することができました。
ちょうど今のように、春を迎える前の季節は、寒さと暖かさが交互に訪れ、心も身体も揺らぎやすい時期です。体調を崩しやすくなるこの頃、私は高校生の時に「心と身体は簡単に壊れてしまうものだ」と強く実感しました。今となっては、ひとつの思い出として語ることができるまでに、立ち直ることができています。しかし、現代では多くの方が心身の不調と向き合っておられ、私が若かった頃以上に問題は複雑に絡み合っているように感じます。
清澤満之は、明治に活躍した大谷派僧侶で、宗門改革運動に邁進、東京本郷に青年求道者と共に浩々洞を開き、宗教雑誌『精神界』を発刊して精神主義を提唱しました。明治34年10月13日東京巣鴨に真宗大学(のちに大谷大学)を開設し初代学長となられました。そのわずか2年後に41歳の若さで亡くなられています。
自分とはどのようなものでしょうか。私には考えてもまだ答えがはっきりとしていません。自分が必ず死ぬ、それがいつかも分からないことを現実問題として考えていないからだと思います。
清澤満之は、自分はどこから生まれ、死んだらどうなるのかを亡くなるまでずっと考え続け、病気を患って療養している時も日記を書きつづけていました。日記の中では、生きること死ぬことについてどれだけ考えても不可思議なことであり、絶対無限のはたらきにおまかせするしかないという心境がつづられています。
私はこの言葉にであってから30年以上になりますが、いまだに言葉を深く受け止められておらず、清澤満之の心境には到底立つことはできていません。しかし、僧侶となったことはこの言葉がきっかけであり、一生涯を尽くすべき大きな課題を与えられたと思っています。
私たちの今生きている命は限りがあり、永遠に続くものではありません。いつ亡くなるのか分からない人生を生きていますが、清澤満之の生き方から何を感じ、どのように生きるかが私に問われているのだと思います。
砂町銀座別院 僧侶
岡田寛子

