ふらふらである」
曽我量深
「仏神は尊し 仏神を頼まず」
これは、宮本武蔵の名言です。武蔵が吉岡一門との決闘のまえに、たまたま出くわした八大神社で、必勝祈願をしようとしたところ、はたと思いとどまって感得したときの境地があらわされています。私が、学生の頃に読んだ、吉川英治の『宮本武蔵』の中で、今でも印象深く思い出される場面です。武蔵は、目の前に迫る決闘の重圧から思わず無意識に、神にすがろうとしたことを激しく後悔します。さむらいの道一筋に鍛錬を積み、常々に死を味方として、ひたすら心身ともに剣を磨き上げてきた武蔵が、ここぞと思う間際にあたって「神頼み」をしてしまった、しかも、無意識であったことを恥じ、涙するのでした。それと同時に武蔵は、自分の弱さを知らしめてくれた、神の大いなるはたらきを感じ、畏敬の念をもって尊び敬い両手をあわせます。そして、都合よく仏神を利用しようとした我が心を猛省し、真のさむらいとして生きる道を見出すのでした。
親鸞聖人が四十二歳のころ、上野の国佐貫(現在の群馬県)にて『浄土三部経』を千部読誦することを発願しました。当時、佐貫は地震、洪水、飢饉に見舞われ、激しい飢えや病のため、多くの民衆が死に絶えてました。その惨状を目の当たりにした聖人は、「衆生利益」のために『三部経』を千回読上げようとされたのです。ところが、読みはじめて四五日ばかりしたころ、はたと、「これは何事ぞ」と思いかえして経を読むことを止められました。聖人は、念仏ひとつに生き、念仏ひとつを伝えんがために生きることを心に決めたにも関わらず、お経をわがものがおに都合よく利用しようとしたことを深く恥じられたのです。
と同時に、自分に完全に具わった深い執着心、自分の力で何でもなしうるという傲慢な心は決して消えることのないことが知らされ、ただ念仏の道に生きることが定まるのでした。
曽我量深先生は、根本は「本願を信じ 念仏をもうさば仏になる」につきる、と言われました。確かなよりどころをもたない生き方は、「あっちへいってもふらふら、こっちへいってもふらふらで、一生涯ふらふらである」と言われています。自分の勝手な都合で、人を信じときながら、自分の都合にそぐわなかっただけで、もう人なんて信じられないと言う。人を「使えねぇ」の一言で亡き者にし、役に立つとか立たないとかで、ひとりの命を天秤にかける。自分だけがいつも我慢して苦労していると思い、人を恨み蔑む。畢竟、私たちは、「あてにならぬことをあてにしているからふらふら」なのであります。
そんな時にこそ、お念仏をもうす。お念仏をもうすと、これらのすべてが、私の事として知らされます。しかしながら、それを素直に認められない私も同時に発見されます。そしてまたお念仏がもうされていく。お念仏が確かな道しるべとなって、迷いの連続が、そのまま、念仏によって開かれた念仏の一道を生きることになるのだと思うのです。
證大寺本坊 大空