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Home トップページ  >  今月の法語  >  この子、本当に全体重で倒れていくのよね~妻のぼやき

2017年04月

この子、本当に全体重で倒れていくのよね~

妻のぼやき

今月の言葉はある日の妻のぼやきを取り上げてみました。何気ないふとした瞬間の、大方母親であれば口にしたことのある言葉でしょうか。隣で見ていますと赤子~幼児までの期間、母親とは本当に大変な仕事をしているなと思います。ほぼ常に片手に子供を抱いて何事もこなさねばならない訳ですから。

ある日、いつものように片腕に娘を抱えたまま、しゃがんで引出しを開けようとしたところ、突然娘が逆側に倒れこんでいったのです。要は妻がバランスを取っていた方と反対方向に突然体を預けていったわけです。当然妻はバランスを崩し倒れそうになります。子供を放り投げて手をつくわけにもいかず、何とかこらえたのでこのときは事なきを得たのですが。今月の言葉はこのときふと妻が言った言葉をとりあげました。

何を申したいかといいますと、この光景を見てふと私は思ったのです。娘は妻が絶対に手を離さないと知っているのだろうかと。たぶん娘は本能的に絶対母親が守ってくれると信じているのでしょう。たまに失敗して痛い目を見ても、たまにうっとおしがられても、また抱かれることを求めにいくのは、やはり自分にとって絶対不可欠な存在であることを知っているからだと思います。このように思ったとき、娘は本当に幸せなことだなと気づきました。自分を無条件で救ってくれる存在を知っているのですから。

では大人になった私には、はたして無防備に倒れていける存在、場所があるのかと考えてしまいます。大人になれば、赤子や幼児のようにはいきません。なぜならいつの間にか自我に支配されるようになるからでしょう。純粋にもろ手を挙げて何かに任せるということが非常に難しくなります。無条件で信じるということがなかなかできなくなります。裏切りの恐怖もあるでしょう、自分に損か得か打算が働くでしょうし、受ける利益を最大にしようとします。そもそもそのような存在を最初から否定しているのかもしれません。これでは救われようがないですね。

以前担当したともしび掲示板で、仏の救いについて書いたことがあります。エゴイズムの塊である自分をそのまま救おうとされるのが仏であるということです。摂取不捨の救い、だれも見捨てずすべてを収め取るぞと仏は誓っておられます。私たち大人はよく勘違いしてしまいがちですが、仏教の救いとは決して自我の満足が成就されることではなく、ありのままの自分で安心して倒れていけるところにあるのです

娘も少しずつ大人になっていくでしょう。自我もどんどん芽生えていきます。成長は親にとって喜びではありますが、これは同時に救いの声にいつの間にか自分から耳を塞ぎ、眼を閉じていくことになるのでしょう。私はそのような時何ができるでしょうか。同じ自我を持った人間同士、共に少しく耳を傾けることしかないのではないかと思います。それがいかに大切なことか伝えていければと思うのです。

船橋・昭和浄苑 溝邊 貴彦

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