クイズ 私は○○のために生まれてきた。
あなたの○○は何ですか?宮戸道雄
今日は掲示板の言葉を通して、「私自身が生まれてきた意味」について少し考えてみませんか。皆さんは○○に何を記しますか。○○に子供と記す方もあるでしょう。しかし子供も育て終われば親から離れていってしまいます。日頃、私自身が追い求めているお金を稼ぐことや名声を得ること、他者からチヤホヤされたいという要求も、「私はお金のために生まれてきた」、「私はチヤホヤされるために生まれてきた」では、なにもそこまでではないかと思うのです。お金持ちになって、大きな名声を得ても、そのために私は生まれてきたとは言えないものが人にはあるのです。和田稠という先生は「人間は幸福くらいでは満足できない存在である」と述べています。
「私は幸せになるために生まれてきた」でも、満足できないとすれば、この○○に何を入れればよいのかますます分からなくなるようです。
仏教では、私たちが生まれた意味や理由を、お釈迦さまの人生から学ぶことを大切にしています。お釈迦さまは誕生されてすぐに七歩をあゆみ、「天上天下唯我独尊」と仰ったと伝えられています。それを無理やり信じるというのではなく、意味を見出すのが仏教なのです。
「七歩」には六道を超えて歩むという意味があります。六道とは、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天という六つの世界です。まず地獄の獄という感じはケモノと犬が言という文字を挟んで向かい合っています。犬とケモノがあえばお互いに吠え合います。これは言葉の通じない世界という意味があり、同じ国の言葉を話していても、自分の都合を押し付けたり、相手を利用しようとすれば、言葉の通じない地獄をつくりだします。餓鬼とは欲しい欲しいと欲望が増えて満足できない世界、畜生は家畜のように自由が得られず欲望に支配されている世界、修羅は戦場のように初対面のもの同士が殺しあう世界、人は六道をめぐりながらも仏の教えを聞くことができる世界、天の世界は、思い通りになっている状態ではありながら、有頂天となり天から落ちなければならないと説かれています。これは死後のことではなく、現在の我々の在り方を示している言葉なのです。どれほどお金を得ても餓鬼道の世界にいるような場合もあれば、名声を得てもそれに縛られれば畜生の世界にいるような場合もあります。子供には六道を超えた人生を歩んで欲しいという親の願いが、お釈迦さまが誕生して「七歩」進まれたことを通して伝えられているのです。
つぎに「天上天下唯我独尊」という言葉は、「大無量寿経」には「われまさに世において無上尊とならん」と記されています。無上尊とは仏さまの別名であり、同じように六道を超えた世界を示しています。お釈迦さまが誕生に際して、七歩を進まれて「私は無上尊となるために生まれてきた」と述べられたのは、お釈迦さまのことだけではなく、私たち一人一人がたった一度の人生を大切にし、尊い人生であったと述べてもらいたいという親先祖の願いがかけられているのです。そしてなによりも、そこに私自身の真実の願いがあると仏教は教えています。
他者の評価ではなく、お釈迦さまの教えを拠り所にして、「私は人生を完成させるために、無上の尊いことに出会うために生まれてきた」、「生まれてよかった、生きてきてよかった」といえる人生完成の道を歩んで参りたいと思います。
證大寺 井上城治