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Home トップページ  >  今月の法語  >  いつわりをいつわりとしらされれば、いつわりのまま、まことである 曽我量深

2017年09月

いつわりをいつわりとしらされれば、

いつわりのまま、まことである

 曽我量深

今月の掲示板の言葉は、真実に照らされると、偽物が偽物のままに、嘘が嘘のままに、いつわりがいつわりのままに、ごまかしようもなくはっきりとしらされ、かえってそれがそのまま真実を証明するものとなることが表わされています。それは私自身がむねに手をあてて、しみじみと内観することでありましょう。

昨今、「クレーム社会到来」といった声を聞くことがあります。確かに世間では実に様々なクレームが発生しているのが現状です。世直しのための正義感からのクレームもあれば、自分の気にいらないことに対して感情的にクレームをいれたり、それを恐れるあまり過度に自粛をしたりということが起こっています。これは、店舗での店員と客のトラブルだけにとどまらず、学校や会社、近所同士や家庭の中まで、
まるで社会全体が不機嫌な空気に包まれたかのような何か殺伐とした閉塞感を「クレーム社会到来」という言葉に感ぜずにはおれません。

人が他人を尊敬できず、人が他人を信頼できない。他人を悪とする人が善となる。このような善悪について曽我量深先生は次のように述べられています。

「結局、つごうのよいものを善、わるいものを悪とする。悪と思っても善と変わり、善と思っても悪と変わり、なにが善悪か一寸さきは闇である。結局われわれは如来の本願を念ずれば、まちがいないのは現に罪悪生死の凡夫であること、これのみが真実である。これ以外、人生なにが真実か。」

私は今月の掲示板の言葉を、「私が私一人として疑いようのないすがたを、まことにふれてしらされると、私が私のままに、真実を証明するものとなる。」といただきました。他人にクレームを突きつける「善」を顧みて、自分自身のいつわりの人生にクレームの目をむけられる「悪」の自覚を、親鸞聖人のお言葉に学んでまいりたいと思います。

「善悪のふたつ総じてもって存知せざるなり。そのゆえは、如来の御こころによしとおぼしめすほどにしりとおしたらばこそ、よきをしりたるにてもあらめ、如来のあしとおぼしめすほどにしりとおしたらばこそ、あしさをしりたるにてもあらめど、煩悩具足の凡夫、火宅無常の世界は、よろずのこと、みなもって、そらごとたわごと、まことあることなきに、ただ念仏のみぞまことにておわします」
(『歎異抄』真宗聖典640頁)

江戸川本坊 松田 大空

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