マザー・テレサは一九一〇年八月二十六日、旧ユーゴスラビア(現在の北マケドニア共和国)の首都スコピエで生まれました。一八歳の時に修道女と成り、インドに渡って六十九年間、人道援助の活動に多大な貢献をされました。
そして六十九歳の時には、ノーベル平和賞を受賞され、八十七年の生涯を閉じました。その後テレサの遺志を承継して活動する聖職者は、世界百カ国に約四千人以上いるといわれています。
また、テレサが四十歳の頃には、カルカッタ東部のカーリー寺院の一部を借りて、行き倒れの人たちの最期を看取る「死を待つ人の家」を設立しました。
證大寺の起源は、承和(じょうわ)二年(八三五年)福岡県に建立されて、「続命院(ぞくみょういん)」と名付けられました。
続命院は、太宰府(だざいふ)に赴任した平安時代初期の公卿(くぎょう)、小野岑守(おののみねもり)が、飢饉や災害等で、大勢の人が治療を受けずに道端で死んで逝くのを悲しみ、「命が続くように」との願いよって建立されました。御堂には観音菩薩、薬師如来が安置され、日本最古の看取りの道場となりました。ですから「死を待つ人の家」と相通ずるものがあります。
さて、「死を待つ人の家」に連れて来られた人は、先ず介護の人から体を綺麗にして貰い、清潔な服に着替えてからテレサがしっかりとその人の手を握って、「あなたも、私たちと同じように、望まれてこの世に生まれてきた、大切な人なのですよ」と、言葉をかけられたそうです。
テレサの言葉によって、多くの人々の心が救われました。それは敬話敬聴の心を持って、いのちと、いのちが触れ合い、相手の人がテレサのいのちの温もりを感じ取ったのではないかと思います。
テレサはいのちを大切にされて、人々を愛されました。テレサにとっていのちは、神から与えられた大切なものであったからです。そしてテレサは自分自身の好きな一面も、嫌いな一面も、全て受け入れていたと思います。
さて、ここで北海道の旭山動物園の初代園長をされた小菅正夫(こすげまさお)氏が昔、某テレビ局の取材に対して話された言葉を紹介致します。
小菅氏は「動物園の外を歩いている人たちはみんな難しい顔をしているでしょう。でも、動物園の中ではみんなとてもいい表情をしています。それは動物を通して、いのちを感じているからなんです。いのちは見るものではなく、感じるものなんです」と、語られました。
この意味は、人も動物園の動物も、根っ子は繋がりのあるいのちを生き、共にその姿は異なっていても、感受性のあるもの同士であるからだと思います。
また、動物園の動物は、囲いの中だけで生きていますが、与えられたいのちを自然の恵を頂きながら、本能的にしかも自由に生きています。そして生老病死の道理に反逆することなく生きています。
一方、人は囲いの無い所で、他の動物と同じく自然の恵みを頂きながら、宿業の身を生きています。そして人は生老病死の道理に反逆して、不自由な生き方となっていますので、難しい顔になるのでしょう。それを小菅氏は「動物園の外を歩いている人たちはみんな難しい顔をしているでしょう」と話されたと思います。
人は誕生して暫くは無分別で、比較の無い状態でしたが、自我が芽生えると、後から出来た自我を自分と思い、分別や比較が因と成って、外縁によって、果として自他共に傷付くことがあります。
この事を悲しみ、存在の意味を知らせて、共に生きることをいのちが願い、いのちの願いがバトンと成って、先祖から私にまで託されて来たのだと思います。
また、この世界はこの様に因縁生起の法の世界ですから、テレサの様に敬話敬聴の心で寄り添う事が、いのち同士が呼応することに成ると知らされました。
船橋昭和浄苑支坊 加藤 順節