逆境もよし 順境もよし
まったくの無一物から企業を立ち上げ、現在のパナソニックの創業者であり、一九八九年に亡くなって後も、世の人々から経営者の鏡として尊敬され続けられている松下幸之助の言葉には、仏の御心にも通ずるごとき輝きと人への温かさが感じ得てならないものがある。
松下は、もともと、現在の和歌山市の地主の家に生まれたが、幼年時に父親が事業に失敗してから貧乏の生活を余儀なくされた。また身内が次々と亡くなる不幸な境遇のなか、自身も僅か小学校を四年で退学せざるを得ず、以来、丁稚奉公から世の仕事に就き独学で技術技能を身に着け、遂には松下の名を冠する企業を設立するに至ったのである。それは、松下幸之助の存命時で、既に世界にも知られる松下電器産業株式会社となっていたが、現在はパナソニックの企業名により日本を代表するメーカーである。
さて、冒頭に掲げた「逆境もよし 順境もよし」は、実際に松下が語ったとする言葉である。この言葉には妙味がある。単に、大らかな人生訓といった域をこえ、むしろ宗教性を内蔵する深みが感じられる。つまり、その宗教性を観察するなら、現実の世を生き抜く浄土真宗の意趣を映じ、念仏の信に生きる真実の妙境、「ふたごころ」の差別なき一心に通ずるものを察知せしめられてくるのである。
松下が、浄土真宗の門徒の家柄だったとは、広く世に知られていないようだが、松下幸之助の法名は、正しく浄土真宗の「光雲院釋眞幸」となっており、また戦後の餓死者も出た大変な世の困窮期に、本願寺の住職と面会し、「こんな時期こそ、世の人々を救う実践活動に精励すべき」と進言していることは特筆されるものであろう。
すなわち松下の言った「逆境もよし 順境もよし」には、真の念仏の道を地でゆく、無碍の一道を為す尊き姿が偲ばれてくること禁じ得ない。そして、それは裏返して、念仏とはどういうものかを如実に訴える働きを為しているようにも思う。
ここにおいて、念仏とは何か。信とは、どういうことなのか。このことが突きつけられてくる。念仏が呪文などでないのは言うに及ばずだが、一方において、ただ親鸞聖人が書かれた文言を切り取り、理屈の上で意味の理解を為しているだけでは、まったくもって、念仏の真実義を戴くことができないのではないか。
尚また他方、自分において念仏が本当に戴かれているかと、内省し内観することは、一見もっともらしい正当な法に思われるのだが、これとて親鸞聖人の御和讃等を拝するならば、どこまでも「虚仮不実のわが身」のほかない自分というものが炙り出される限りから抜け出せない。すなわち、自己の内省、内観にとどまる限り、決して真実の行に入ることは出来ずと言わねばならず、真の念仏の道を歩み得ていないと見なければなるまい。
改めて、真の念仏とは何なのか、信とは何かを案ずること抑え難しである。このとき、松下の辛酸に出遭いながらも前進を続けた人生体験に裏打つ「逆境もよし 順境もよし」に、現実の世を厭うことなく、そして世の人々のためになる善行を尽くし、決して「我」なる自己の後ろを振り返らなかった姿が浮き彫りになる。ここに、光を生じ輝きが放たれているのを見るのである。この光こそ、真実の行なる念仏そのものではないか。また、善行を尽くし続けたその姿には、真実信心の獲得、不二の心を示し得て輝きをもって証しされよう。
松下は自ら経営者となって、他の企業に先駆け一番に為したこととして、従業員の週休二日制がある。これは偏に、松下の従業員への感謝と温かい思いやりによる。そして、仕事をするとは感動することであると説いたとも伝えられている。いずれも、浄土真宗における報恩謝徳と信心歓喜に通ずる尊い功徳のほかあるまい。
船橋昭和浄苑支坊 梅原 博