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2021年11月
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遺産分け 母を受け取る 人がない サラリーマン川柳

今月の言葉は、以前某生命保険会社が主催した「サラリーマン川柳」に投稿されたものですが、皆様如何でしょうか。

さて、お念仏のみ教えを聴聞致しますと、私を生んでくれた両親は、戸籍上は「生みの親」ですが、実は仏様の子供を育てる「育ての親」として、仏様から託されていたことを知らされます。それでは「仏様の子供」とはどういう意味でしょうか。

先ず始めに「親子の関係」を仏教の教えに聞きますと、親は子供を因として親となります。また子供は親を因として子供になります。因と果が互いに関係し合っている存在が親子の関係です。

次に「仏様の子供」という意味ですが先ずこの因果の関係を「縁起の法」と申します。この「縁起の法」は、お釈迦様がおさとりになられた大切な教えです。この「縁起の法」に因って私のことをいいますと、色々なご縁が様々に出遇い、様々なご縁に因って仮の相として存在しているのが私なのです。

そして親も子供も共に様々なご縁に因って生まれて来ました。この世界に生命が誕生してから私になるまで三十八億年以上の歴史があるのです。そして存在できるご縁がある間は存在し、ご縁が無くなれば存在が無くなるのです。それが「縁起の法」の身としての私なのです。

しかしながら私共は、この大切な「縁起の法の身」に無自覚です。それを「愚」という一字をもって教えられています。そして自分の力で生きていると思っているのが私共です。ですから自分の都合の良いように生きたいと、常に損得勘定の分別心をもって生きている。それがこの川柳の言葉に表されているのではないかと思います。

そういう私共に「縁起の法の身の存在」を知らせる為に、法そのものである「法身(ほっしん)」より報い現れたのが「報身(ほうじん)」の阿弥陀様です。阿弥陀様は人を選ばず、嫌わず、見捨てずに親としての名のりをしています。阿弥陀様は「我が名(南無阿弥陀仏)を称えて、弥陀の本願をいのちとして縁起の法の身を生き生きと生きよ。」と、はたらき続けています。ですから真宗門徒は阿弥陀様のことを「親様」と呼んできました。このことを「仏様の子供」と申します。

ですから「親様」と呼んでも実際には阿弥陀様から生まれたのではありませんが、阿弥陀様に常にお育て頂き続けていた御恩を知った人が、「親様」と呼ばずにはおれなかったのでしょう。

昔の真宗門徒は念仏のみ教えを聴聞し、その教えを家庭に於いて子供に教えて、子供が反抗するようになると、お内仏(お仏壇)の前に座って合掌し、「阿弥陀様からお預かりしているこの子をしっかりと教え、育てることが出来ずに申し訳ございません。」と、阿弥陀様にお詫びをしていたそうです。子供は両親へのご恩を失念しやすいかも知れません。そのことを浄土真宗八代の蓮如上人(れんにょしょうにん)の教えを聞き取りされて纏められた、『蓮如上人御一代記聞書(れんにょしょうにんごいちだいきききがき)』(真宗聖典八九七頁)には、仏恩を失念しては、念仏のみ教えを聴聞して、また、仏恩を知らされる歩みを「仏恩(ぶっとん)を嗜(たしな)む」と教えています。

念仏のみ教えを聞く聴聞の生活の中で、気付かされる一瞬一瞬が、阿弥陀様との再会の時なのですね。

大切なことは「縁起の法の身」の自覚です。この身がこの身の真実の相(すがた)に背き続けている現実を知ることです。

そして、このことを知らせる阿弥陀様の願いに常に背き続けて生きていたことの懴悔(さんげ)です。

阿弥陀様を片思いにさせてきた深い悲しみを知った時、この川柳の言葉を超えて、新しい親子の関係が確立すると思います。

   船橋昭和浄苑支坊 加藤 順節

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