「親ガチャ」二〇二一年「流行語大賞」ノミネート三十語より(『現代用語の基礎知識』選)ユーキャン新語・流行語大賞
「流行語大賞」とは、一年の間に発生したさまざまな「ことば」のなかで、軽妙に世相をついた表現とニュアンスをもって、広く大衆の目・口・耳をにぎわせた新語・流行語を選ぶとともに、その「ことば」に深くかかわった人物・団体を毎年顕彰するものです。
表題のこの言葉を皆さまはご存知ですか。子供は親を選べず、どんな家庭環境に生まれるかは運任せ。という意味を、抽選式のカプセルトイやゲームのくじ引き(通称・ガチャ)に例えた言葉で、「私親ガチャ成功してますから」とか、「親ガチャ失敗したわー」というような使われ方で若者を中心に流行し、今年の流行語大賞にノミネートされるほどになりました。受け止め方は賛否両論で、特に親世代からは、親(他人)に責任をなすりつけているとか、自分の努力を放棄していると感じる意見が多いようです。私も初めてみたときは「親の恩を感じられない若者の言葉」と思いました。しかしながらその認識は、実際に使っている若者とは大きなギャップがあるそうです。
筑波大学の土井隆義教授によると、この言葉が生まれた背景には、ネットやSNSの発達により評価比較が多様化し、自分という存在が不安定な社会の中で、決して揺るがないものは何かというと、“生まれ持ったもの=親”の存在に重きを置くという人生観が、若者の中で広がりつつあるのだと言われています。
私は「親ガチャ」というのは、親を非難したり責任を押しつけたりしている訳ではなく、評価比較による善悪を超えて、親を親と正しく受けとめ、期待をしたり、甘えの気持ちになったりという、親をおもう心を、現代の若者が、「ガチャ」のように、たまたま、偶然にも、出遇うことができた「親子関係」を尊くおもう言葉として表現したものであると受け止めてみたいと思うのです。
「たまたま行信を獲ば、遠く宿縁を慶べ」
『教行信証(総序)』(真宗聖典一四九頁)と、親鸞聖人は表白されました。阿弥陀仏の本願のはたらきによって、遥か遠い過去からの親先祖の願いがつながって、真宗の教えに出遇うことができたという感動と深い慶びの心です。この後には「遇いがたくして今遇うことを得たり。」と続きます。運任せではなく、私の思いや考えもおよばない深い因縁によって、願われて親子として、遇いがたくして遇えた関係です。その慶びを、自分ではどうすることもできない身の事実の受けとめとして「親ガチャ」という言葉があるように感じます。
私もまた、阿弥陀仏の本願のはたらきによって、願われて親子として出遇い、お念仏を申す人生を歩ませていただいております。言葉の表面だけを見て、親に恩を返すべきと考えている私が、出遇いの喜びを忘れ、自分のおもいはからいで親と向き合っていたと気づかされます。親鸞聖人の「遠く宿縁を慶べ」という呼びかけをいただき、たまたま、遇いがたくして出遇うことを得た親先祖の願いに、南無阿弥陀仏と頭が下がるのです。
森林公園支坊 山岡 恵悟